傷ついた癒し手とは
先日、セミナーに参加した女性からある質問を受けました。
「私はメンタルが弱いです。これから音楽療法を学びたいと思っていますが、こんな私でも音楽療法士になることができるでしょうか?」
これまでも似たような質問を受けたことがありますので、彼女と話した内容を皆さんと共有したいと思います。
まず、セラピストは精神的にバランスがとれている必要があります。彼女は「メンタルが弱い」と言いましたが、実際にどのような問題を抱えているのかわかりませんので、彼女が音楽療法士になるべきかどうかアドバイスすることはできません。
ただ、彼女との会話の中で私はふたつのことに気づきました。彼女の〈正直さ〉と〈気づき〉です。どちらもセラピストには欠かせない要素であり、誰もが持っているものではありません。なので私は彼女に、心理学者のカール・ユングが唱えた”Wounded Healer (傷ついた癒し手)”の話をしました。
セラピストは一生学び続けなければいけない。自分自身の傷が、治癒力の尺度となるからだ。
The analyst must go on learning endlessly…it is his own hurt that gives the measure of his power to heal.
~ Carl Jung
人は自分が傷ついたことがあるからこそ、誰かに手を差し伸べたいと思うのでしょう。2006年にイギリス人のカウンセラーによって行われたリサーチによれば、カウンセラーや心理士の73.9%が何らかの「傷ついた経験」をしており、それがキャリアの選択につながったことが示されています。
このような「傷」が必ずしも精神的な問題として表れるとは限りませんが、そういう場合もあるでしょう。いずれにせよここで重要なことは、セラピストが自分自身を学ぶことです。誰かの役に立つためには、まずは自分への気づき(アウェアニス・awareness)を高めなければいけません。それを怠った場合、自分自身のニーズを満たすために、もしくは自分の傷を癒すために、無意識にクライエントを利用してしまうことがあります(これを「逆転移」と言います)。
ここでは専門的なセラピストやカウンセラーの話をしていますが、私はホスピスのボランティアにも似たようなアドバイスをします。ホスピスなどの医療現場でボランティアをしたい人たちの中には、大切な人を失ったことがある人が多いです。私が以前働いていたアメリカのホスピスでは、喪失を経験した人は少なくとも1年は待ってからボランティアになってください、とお願いしていました。まずは自分のグリーフ(悲嘆)と向き合うことが大切だからです。セラピストであろうとボランティアであろうと、自分を助けることができなければ、誰かを助けることはできません。
セミナーに参加した女性には、自分の苦しみや葛藤とまず向き合うことが大切だとお話ししました。彼女の「メンタルの弱さ」が、今後のキャリアの決定的要因になるかはわかりませんが、心の痛みを乗り越えることができたとき、良いセラピストになれるかもしれません。
心の傷のあるなしに関わらず、セラピストは常に内省し、成長し続けなければいけないと思います。つまり、クライエントに求めるのと同じことを自分が行う必要があるのです。
“傷ついた癒し手”は自分の傷をよく知っています。そしてその気づきこそが、セラピーにおけるツールとなるのです。
「私には障害があります。こんな私でも看護師であり続けることができるでしょうか?」という問い・悲しみに、自他ともに歩む当事者です。
欧米のナラティブ・研究書でも「障害があればそのナースは患者に危険なのでは?」という偏見・排除に、往々にして晒される…と書かれています。
“Wounded Healer”の概念を知って少し救われた思いです。この概念から、理念/実践両面でお知恵を拝借できるようになれるとよいのですが…