逆転移について
音楽療法も含めセラピーとは、セラピストとクライエントの関係性の中で起こることであり、その間に育まれるラポール(rapport, 相互信頼)が最も重要な要素である。関係性を築くと口で言うのは簡単だが、実際には難しく複雑なプロセスを経なくてはならない。人と人が関わりを持つとき、国籍、人種、出身地といったバックグラウンド、性格、信仰、人生経験など、お互いのさまざまな要素が関係性に影響をもたらす。それは、セラピストとクライエントの関係性も同じである。
新刊『戦争の歌がきこえる』からの一文です。この本は戦争にまつわる話ですが、同時に、セラピストである私とクライエント(患者さんやご家族)との関係性がテーマでもあります。私が日本人であることが、第二次世界大戦を経験したアメリカ人のクライエントとの関係性にどのような影響を与えたかを振り返り、綴っています。
転移と逆転移とは?
このようなセラピストとクライエントの間に起こる複雑な感情を心理学の用語では、転移(トランスファランス)と逆転移(カウンタートランスファレンス)と言います。転移とは心理学者のフロイトが最初に用いた言葉で、クライエントがセラピストに対して、無意識に向ける感情を指します。例えば、クライエントの過去の経験がセラピーの中で蘇り、その感情がセラピストに向けられる。これは珍しいことではなく、自然な現象です。
逆転移はその逆で、セラピストがクライエントに抱く感情のことです。従来、転移や逆転移はサイコセラピー(心理療法)に支障をきたす可能性があるものと考えられていましたが、今日では両者を理解することは、セラピーにおいてとても重要なことだと考えられています。
特にホスピスケア(終末期ケア/エンド・オブ・ライフ・ケア)においては、転移と逆転移が起こりやすくなります。その理由のひとつは、セラピストとクライエントの距離感の近さにあります。
死とは誰にでも起こることですので、死に逝く人と接することによって、自分の死すべき運命(mortality)や大切な人の死を認識せずにはいられません。また、末期の患者さんやご家族と過ごす「最期の時間」とはとても親密なものです。
そのため私は以前から逆転移に興味があり、ホスピスケアに携わっている音楽療法士の友人と一緒にリサーチをしたことがあります。その結果は”Countertransference in End-of-Life Music Therapy(終末期の音楽療法における逆転移)”という研究論文として発表しました。
その際、逆転移についての考え方のひとつとして学んだことがありますので、ご紹介します。逆転移は難しい観念なのですが、大まかに3つにわけることができます。
3種類の逆転移
1.客観的な逆転移(Objective Countertransference)
セラピストが他の人と同じようにクライエントに反応している場合の逆転移。例えば、末期がんで死が近い子どもを目の前にした場合、ほどんどの人が似たような感情を抱くと思います。若い命が失われる悲しみ、無力感、不公平感、など。これはセラピスト自身の問題ではなく、客観的に見たときに誰もが抱くであろう感情です。
ただし、感情が完全に「客観的」と言い切ることはできないため、どの時点から後述する「主観的な逆転移」が始まるのかわかりにくい場合があります。
2.主観的な逆転移(Subjective Counteretransference)
セラピストの個人的な問題や過去の経験によって引き起こされる逆転移のことです。一般的に「逆転移」と言った場合、大抵はこれを指します。
主観的な逆転移が引き起こされたとき、セラピストはクライエントのニーズに対応する代わりに、自分のニーズを満たしてしまうことがあります。例えば、相手を「助けたい」という強い気持ちや誰かに「必要とされたい」という気持ちを満たすために、無意識に自分を満足させるための行動をとってしまうのです。このような場合、パーソン・センタード・ケア(相手を中心としたケア)が行えなくなります。ある医療関係者から下記のコメントが寄せられました。
患者さんが亡くなる1ヶ月半前に「私もう長くない、71歳まで生きたから満足すべき」と言われたとき、返す言葉はなく「頻繁にお顔を見に来ます」と答えました。また、亡くなる5日前に「健康が回復したらまたお話ししましょう」と無責任な回答をしました。そのときの適切な回答は私には現在もわかりません。
私もこのような状況に遭遇したことが何度もあります。「患者さんにまだ死んで欲しくない」「悲しいからまだお別れを言いたくない」という気持から、「もう長くはない」と言った患者さんに「来週また会いましょう」と言ってしまったことがあります。
これは、主観的な逆転移の例です。無意識に、患者さんのニーズよりも自分の気持ちに対応しています。もし私が自分の気持ちに気づいたとしたら、「来週また会いましょう」の代わりに、「もう長くないと感じているのですね」と患者さんの気持ちを反映し(reflect)、共感(validate)につながる言葉をかけたでしょう。
3.診断に用いる逆転移(Diagnostic Countertransference)
診断に用いる逆転移とは、クライエントの無意識の手がかりとなる逆転移を指します。
例えば、「私はいつ死んでも悔いはない」と語っている患者さんがいるとします。本人はそう言っているにも関わらず、その人を訪問するたびに患者さんの「恐怖感」を”感じ取る”ことができる。このような場合、セラピストが感じ取っている「恐怖感」は、患者さんの無意識な感情である可能性があるのです。診断に用いる逆転移はセラピーの鍵となることが多いです。
意識、潜在意識、無意識とは?
意識とは、今気づいている自分の思考、記憶、感情。潜在意識は水面下にあり、ふとしたきっかけで気づくことができます。無意識とは、気づいていない思考、記憶、感情を指します。私たちが今気づいていることは、精神(Mind)のほんの一部に過ぎないということがわかると思います。逆転移に気づくのが難しい理由は、「無意識」で起こっていることだからです。
逆転移において最も大切なこと
逆転移を理解するために欠かせないのは、セラピストの内省能力です。自分自身への理解を深めることで、自分の気持ちをツールとして使えるようになるのです。とても難しく、奥が深いテーマだと思います。セラピストでなくても、医療や介護に携わっている方にとって、転移と逆転移を学ぶことは大切です。その知識が患者さんや利用者さんとの関係性に影響を与えることは間違いないですし、セルフケアにもつながるからです。
セラピストが自分自身を良く知ることは最も重要である。自分を理解していないセラピストは他人を理解することはできない。まず、同じ薬で自分自身を治療しない限り、効果的なセラピーは決してできないのである。
~カール・ユング
“It is essential for the psychotherapist to have a fair knowledge of himself, for anyone who does not understand himself cannot understand others and can never be psychotherapeutically effective unless he has first treated himself with the same medicine” – Carl Jung
三井 徳明 says
この書き込みを二回読みました。この書き込みは音楽療法士、医療関係者だけでなくすべての人たちが読むべき記事です。死にゆく人に私は長い大学病院での勤務中に適切な言葉かけが正しくできた経験は一度もありません昨年義兄の死についても1ヶ月半前に「わしはもう長くない、71歳まで生きて満足すべき」と言われたときは返す言葉はなく「頻繁にお顔を見に来ます」と答えました。また亡くなる5日前にお会いしたときには「健康が回復したらまたお話ししましょう」と無責任な回答をしました。そのときの適切な回答は私には現在もわかりません。
過去の反省を含め末期がんや死にゆく人へ適切な言葉がけをできるように過去を反省しセルフケアもしなくてはならないと思います。私をはじめ多くの人たちが人の大切さを知るべきです。ここに今回のお書き込みに敬意を表します。
Sato Yumiko says
三井さん、いつもコメントありがとうございます。義兄さんへかける言葉が見つからなかったとのことですが、三井さんのお気持ちは伝わっていたのではと思います。