死期が近い人にかける言葉
今朝、あるメッセージが届きました。大切なことを思い出させてくれる文章でしたので、ご紹介します。
一昨日、父をがんで亡くしました。それまでは健康でしたが、昨年12月に異状を訴え、入院生活が5か月目を迎えようとしていたところでした。当初、手術も成功したとのことで喜んでいたのですが、2月末に他臓器への転移が判明し、余命一か月と伝えられ、悲しいことですが結果としてほぼその見立てのとおりとなりました。
医師から余命を伝えられた際には本当に驚き、悲嘆にくれましたが、暗闇を手探りする中、google検索でたまたまヒットした『死に逝く人は何を想うのか』と『ラスト・ソング』に出会いました。悲しい思いに囚われるばかりでなく、死に逝く家族にどう接するべきなのか、ということを自分なりに考え、父がいったい何を望んでいるのかを一番に対応するとともに、息を引き取るときは最後まで手を握りながら「ありがとう」という感謝の声を伝えることができました。
先日、友人が死期の近い母親に会いに行くと知ったとき、最後に伝えることについて話をしました。大切な人との別れが近づいた時、伝えたい事は沢山あっても、実際に何を言っていいのかわからない場合があると思います。感情が高まっている時、言葉を失うのは普通のことです。
死期が近い人にかける言葉が見つからない時、大切なことは「正直な会話」をすることです。そのために、3つの言葉があります。
多くの患者さんと接する中で、私は、彼らにとって特に重要ないくつかの言葉があることに気づいた。それは、「ありがとう」「ごめんね」「許すよ」という当たり前の言葉だ(ときにこれらの気持ちは言葉にならないから、音楽がそれを代弁することもある)。いずれにしても、大切な人と感謝や謝罪、承認の気持ちを共有することが彼らの心の平穏につながる。そして、このシンプルな言葉(またはそれを表現する音楽)が、家族から患者さんへ、もしくは患者さんから家族への「最期の贈り物」になる場合もある。
もちろん、このような言葉は、病気になる前から伝えておくのに越したことはない。でも、どんな人にも、言っておけばよかったと思うことはあるものだ。衰弱しきった大切な誰かを目の前にして「かける言葉が見当たらない」と思うことがあるかもしれない。そしてもし、その人と過ごせる最後の時間が限られているのであれば、ぜひ、この三つのシンプルな言葉を思い出してほしい。
ー『死に逝く人は何を想うのか』(P156)
「ありがとう」「ごめんね」「許すよ」という言葉。これらは、グリーフの視点で考えた場合、遺された家族にとっても支えになると思います。メッセージを送ってくださった方も、お父さまに「ありがとう」を伝えられたことが、今後のグリーフの過程において心の支えになることを願っています。
最近、私はこのテーマについて考えることが多いです。新型コロナウイルスで亡くなる人たちのご家族・友人は、大切な人とお別れができず、手を握ることもできない状況です…。これがコロナウイルスによる死において、最もつらいことのひとつだと思います。
家族が患者さんとお別れができるよう、医療者がスマホを使って配慮しているケースもあるようですが、ケースバイケースだと思いますし、スマホ越しのお別れと実際にその場で見送るのは、当然違うことです。
このような場合、どうすればいいでしょうか? 大切な人に言いたいことを伝えられない状況が他のケースでもあると思います。例えば、突然死もそのひとつです。私も兄が突然亡くなった時、お別れの言葉はかけられませんでしたが、手紙に書いてお棺に入れました。もし、その人が亡くなってしばらく時間が経っているとしても、「伝えたい言葉を手紙に書く」というのは心の回復に役立つとされています。
今このパンデミックの中、様々な不安を抱えている方や人生のuncertainty(不確かさ)に気づいている人も多いのではないでしょうか。ストレスが溜まりやすく、過去のグリーフがよみがえることもあるかもしれません。皆さんはどう過ごしていますか? 近況などお寄せください。
最後に、精神科医でエンド・オブ・ライフ・ケアの先駆者として有名なエリザベス・キューブラーロスの言葉を紹介します。
愛は私たちが所有し、(人生の最期に)持っていくことができる唯一のものです。
Love is really the only thing we can possess, keep with us, and take with us.
~Elisabeth Kubler-Ross
(参照)『死に逝く人は何を想うのか 遺される家族にできること』(ポプラ社)
なぐらゆき says
いつも役立つ記事をありがとうございます。
2日前、祖父が亡くなりました。
九州と大阪(私)と離れていることもありますし、
コロナで病院へは入れないこともありましたので
会いにはいかず、最期を迎えるときに
病院から送られる写真をみることになりました。
ちょうど こちらでリモートでのお別れとグリーフのことを読んだのを思い出していました。
本当は誰か側で… と思いますが
以前に1度、危篤になったことで
お別れできましたし
その前にも事前にどのような最期を迎えたいか
家族をまじえてミーティング(ACP)でき
その後の葬儀まで整っていたことは救いで
見通しが持てたと思います。
私は、グループホームでたくさんのクライアントさんの最期を経験しているためか、今回 落ちつき、
昨日も予定されていた仕事にいくことができました。それが今朝は、祖父が荼毘にふされたこともあり、忘れていた思い出がめぐり、勝手に涙が溢れました。でも、それで なんだか安心した自分がいます。(死に対して慣れてしまうこともあるのか?と、
それもまた内心不安に感じていたのだと思います。)
兄弟がいない私の母は、両親が居なくなって淋しくなったと 落ち込んでいますので、ゆっくり寄り添いたいと思います。
取り留めもない長文になってしまい、
申し訳ないです。
いつも ありがとうございます。
Sato Yumiko says
返信が遅くなりごめんなさい。今このコメントを読みました。おじいさまが他界されたこと、共有いただきありがとうございます。この時期にご家族を失うことは、大変なことかと思います。なぐらさんとご家族のことを心に留めておきます。くれぐれもお体を大事になさってください。
土田 容子 says
末期癌の父親が、もうすぐ去っていきます。伝えたい事はたくさんあるけど、あなたの娘に生まれて良かった。それしか今は考えられません。ありがとうと伝えれば、それでいいんですね。ブログ拝見させて頂き、救われた気持ちになりました。
Sato Yumiko says
コメントありがとうございます。はい、土田さんがお父さまに伝えたいことを伝えればいいと思います。死期が近づいていてお父さまが反応しなかったとしても、土田さんの言葉は伝わると思います。
shizuka says
死別ブログを通して、ときどき記事を読ませて頂いております。
私は三年半前に癌で父を、三年前に植物状態だった母を、そして二年半前に愛猫を亡くしました。
母は2010年から約七年間植物状態で、最後の数年は在宅介護でした。
私は母の介護を優先するあまり、以前から確執のあった父につらく当たっていました。
父が余命宣告されてから、私は父に甘えていたのだと気づきました。
両親の在宅介護中、私も父も、肝心な事は何も言わないままでした。
表面上は穏やかに暮らしていましたが、父が緩和ケア病棟に入院する数日前、
私は父に一通の手紙を渡しました。
これまでの私の言動を詫び、父が私の父で良かった事、子供の頃の思い出などを書きました。
ですが、父はその手紙に関しては直接何も言う事はありませんでした。
そして、父の死後、父の机から私が手渡した手紙と、私への恨み言が書いてあるメモが見つかりました。
私は病院で父を看取りました。
その時、父の呼吸が完全に止まるまで、止まってからも父にいろいろな事を語りかけました。
でも、そのあとにメモが見つかりました。
私は父に最後まで許してもらえなかったのだと思います。
そのことが、今でも杭となって心に突き刺さったままです。
私が母の介護を、母の命を、父より優先したという事がいけなかったのでしょう。
父の余命も残りわずかだというのに、植物状態の母を入院させずに父を入院させたことを
私は死ぬまで後悔し続けるだろうと思います。
でも、その反対の行動を取ったとしても、私は死ぬまで後悔し続けることでしょう。
「許す」ということは、相手からはっきりと示されなければ許されたことにはなりませんよね。
父の「最後の言葉」が、自分に対する恨みだったことを
私は自分の周囲の人たち誰にも、話すことはできませんでした。
これからもできないと思います。
「赦す」「許す」とは、何でしょうか?
Sato Yumiko says
コメントありがとうございます。本日更新した記事でご質問にお答えしました。何かの参考になれば幸いです。
https://yumikosato.com/2020/06/10/forgiveness/