許すとは
先日、読者から下記のメッセージが届きました。亡くなったお父さんに「許されなかった」ことに心を痛めている方からです。今日は「許すとはどういうこと?」という彼女の質問について考えてみたいと思います。まずは、彼女からのメッセージをご覧ください。
私は三年半前に癌で父を、三年前に植物状態だった母を、そして二年半前に愛猫を亡くしました。母は2010年から約七年間植物状態で、最後の数年は在宅介護でした。私は母の介護を優先するあまり、以前から確執のあった父につらく当たっていました。父が余命宣告されてから、私は父に甘えていたのだと気づきました。両親の在宅介護中、私も父も、肝心な事は何も言わないままでした。
表面上は穏やかに暮らしていましたが、父が緩和ケア病棟に入院する数日前、私は父に一通の手紙を渡しました。これまでの私の言動を詫び、父が私の父で良かった事、子供の頃の思い出などを書きました。
ですが、父はその手紙に関しては直接何も言う事はありませんでした。そして、父の死後、父の机から私が手渡した手紙と、私への恨み言が書いてあるメモが見つかりました。私は病院で父を看取りました。その時、父の呼吸が完全に止まるまで、止まってからも父にいろいろな事を語りかけました。
でも、そのあとにメモが見つかりました。私は父に最後まで許してもらえなかったのだと思います。そのことが、今でも杭となって心に突き刺さったままです。
私が母の介護を、母の命を、父より優先したという事がいけなかったのでしょう。父の余命も残りわずかだというのに、植物状態の母を入院させずに父を入院させたことを私は死ぬまで後悔し続けるだろうと思います。でも、その反対の行動を取ったとしても、私は死ぬまで後悔し続けることでしょう。
「許す」ということは、相手からはっきりと示されなければ許されたことにはなりませんよね。父の「最後の言葉」が、自分に対する恨みだったことを私は自分の周囲の人たち誰にも、話すことはできませんでした。これからもできないと思います。「許す」とは、何でしょうか?
このメッセージは「家族への『最期の贈り物』になる3つの言葉」という記事に寄せられたものです。「許すとは何か」とはとても難しい問題です。彼女の具体的な現状はわかりませんが、ヒントとなるかもしれない事柄をいくつかご紹介します。
1.期待を手放す
愛する人との別れが近づいた時、大事なことは「正直な会話」をすることです。そのために「ありがとう」「ごめんね」「許すよ」という言葉を共有することが大切です。でも、それに対して相手がどう反応するかはコントロールできませんので、期待せずに行動することが大事だと思います。
誰かの最期を見届けるとき、自分自身の「期待を手放す」必要があります。簡単ではないですが、まずは自分の中にある期待に気づくことで、物事が少しクリアになると思います。
2.「許された人」よりも「許した人」にこそ、大きな変化が起こる
青森の緩和ケア病棟で働いていた際、私はある夫婦に出会いました。患者さんは長年アルコール依存症に苦しみ、末期の肝臓がんでした。若い頃は奥さんに暴力を振るったこともあったそうです。でも、最終的に奥さんは彼を許しました。そこにたどり着くのは簡単なことではなかったでしょうが、私は「許す」ということの本当の意味を彼女から教わった気がしました。
許すとは、何も相手の行為を無条件に肯定することではない。許すとは、「過去に起こったことは、もう変えることができない」と、ただ受け入れることなのだ。そうすることで初めて、私たちは怒りや後悔から自由になれる。怒りを持ち続けるということは、とてもしんどいことだ。エネルギーも時間も相当に消耗する。許すこと、受け入れることには勇気がいる。でもそれは、何よりも自分自身のために必要な行為なのだろう。
~『死に逝く人は何を想うのか』(p171)
3.「許す」と「忘れる」は違う
英語には “Forgive but never forget” という言葉があります。「許しなさい、でも忘れてはいけない」という意味です。Forgive(許す)とは、 Forget(忘れる)ことではありません。このふたつの違いを理解することが、許す過程において役立つと思います。
4.自分を「許す」こと
相手を許すことも難しいですが、自分自身を許すのはもっと難しいことだと思います。この女性も「私は死ぬまで後悔し続けることでしょう」と自分を責めていますので、彼女が本当に知りたいことは、「どうすれば自分を許せるのか」ということなのかもしれません。
私はホスピスでの仕事を通じて、罪悪感に苦しみ、自分を許せなかった患者さんたちと出会いました。中でも印象深く心に残っているのが原爆開発に携わった男性と、ベトナム戦争で枯葉剤を撒いた退役軍人です。ふたりとも人生の最期に自分の過去の行いを許すことができず、想像を絶する苦しみを抱えていました。
彼らとの関わりを通じて私が学んだことは、「自分を許すこと」と「相手を許すこと」は、根本的には同じメカニズムだということです。つまり、過去に起こったことは、もう変えることができないと受け入れる必要があり、どちらの場合においても、「許す」とは最終的に自分のために行うことだということです。ふたりのストーリーは『戦争の歌がきこえる』(柏書房)で詳しく書きました。
許すとは簡単なことではく、頭では理解していても心では受け入れられない、という場合がありますし、時間がかかることだと思います。これは人生の最期に人々が向き合う事の中で、最も難しいテーマかもしれません。
kiyomi says
1ヶ月の間に父が居宅診療と介護、母が精神病棟へ入院という経験をしました。
半月ほどはいわゆる毒母のことを許すことが出来ず、父の介護準備に追われていましたが、父と話をしているうちに母を断罪する自分自身に期待をしてしまっていたことに気がつき、心を手放しました。
父との話し合いの中で、父も勿論自分の病気、死と向き合い、私もまたこれから来るであろう死について見つめ合うことができたのでした。
本文の彼女も、お父様からの手紙を読むたびに年老いていくのでしょう。
時間が解決するとは楽観的ですが、ご自分のお父様を看取った時のことなどを
「それで良かったのだ」
と思い、手放せる時がきっと来ます。
ただ、それはこうやって誰かの手助けが必要だとは感じています。
本文の彼女の心がどうか繋がれますように。
Sato Yumiko says
共有いただきありがとうございます。シェアさせていただきますね。
shizuka says
佐藤様、「許すとはどういうことか」という私の問いを取り上げてくださり、ありがとうございました。数々のヒント、何度も読ませていただきました。
そして鈴木様。私が父に手紙を書けたのは、おそらく、長い間、父が私たちにしてきた事を
許せたというか、死を前にした人に病気以外のことでもう思い煩って欲しくなかったのだと思います。
楽しかった思い出だけを持って旅立って欲しかったのだと思います。
父があのようなことを書いたことで、苦しい思いを手放せて旅立てたのなら、私はそれを受け入れなければならないのでしょう。
いつか自分はあのとき精一杯やったのだと思える時が来るかもしれませんから。
Sato Yumiko says
ご連絡ありがとうございます。鈴木さんの言葉がShizukaさんに届いてよかったです。
鈴木 留美 says
コメントありがとうございます 私も癌でなくなった母の書いた手紙を亡くなった後読んだのです
私に対することではなく、 何故自分が 何の罰がと戦前生まれで苦労した母にとってはいろいろな思いがあったのでしょう 娘の私には見せなかった誰にも言えない悔しさがあふれてました 私は3年近く傍で介護していながらそのことに気付けなかったのです 何のために傍にいたのか 私の介護は母のためでなくただの自己満足だったのか 何十年と2人で支えあいながら生きてきたはずだったのにと
それでも 形あるものは永遠ではないいつかは消える きっと母はこの世というごみ箱にその想いを
自分の手から手放し捨てていったのだと都合がいいようですが最近そんな気がしたのです
きっと光の世界では自分の足であちこち飛び回っているのだと 忘れることなどできない でも
そのことで自分を責めても過去は変わらない 母が戻ってきてくれるわけではない
日にち薬などないけれどどこかでそんな腑に落ちることがshizuka様にもおこることを祈っています
長々とあまり役立たずですみません
鈴木 留美 says
私自身未だグリーフの最中で自責の念も後悔も
変わらずにあります
結局周囲が何を言っても当人の口から(故人)聞けない限りは
この想いはなくならないです
それでも自分を重ねてしまうこの方に対して伝えたいと
確かにお父様は何か思いを抱いていたのかもしれない
だけどこの方が手紙を書いたことで自分が執着していたその気持ちを
手紙に書くことで手放したのではないでしょうか?
そしてこの世で持っていた煩悩を捨て きれいな無垢の体で彼岸へ旅立った
そういう捉え方もできると思うのです
この方自身もお父様へ抱いていたこれまでの想いを
捨てることができたからこそ手紙を書くことができたのではないでしょうか?
私は毎日骨壺に向かってごめんね許してほしいとおりんを鳴らしては
私の残りの命と引き換えにもう一度生きかえらせてやり直させてほしいと
拝んできました
だけど今回のコロナで地球上に対して自分一人の力なんてたかがしれていて
何かをコントロールできるなどただの思い上がりなのだと実感したのです
(自分の期待を手放した)そしたら少しだけ軽くなったのです
今はいつかあの世で再会したら「ごめんね 私初めてだったから介護失敗しちゃったね
それでも あの時はあれが精一杯だったんだ」そう伝えようと思っています
役に立つ答ではありませんが、皆同じような苦しみを抱いていて、決して
あなた一人ではないよ。仲間がいるよそう伝えたかったのです
Sato Yumiko says
コメントありがとうございます。シェアさせていただきます!