「この病気に感謝してるんだ」
ある日、スティーブが言った。思いがけない言葉だった。
スティーブはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていた。身体の自由はどんどん失われていくのに、意識だけははっきりと残る。ある意味、最も過酷な病気かもしれない。いずれ呼吸さえも困難になり、死にいたる。そんなおそろしい病気がほかにあるだろうか。だからこそ、私は驚いてしまった。病気に、感謝……?
ビジネスマンとして成功していたスティーブは、54歳のときALSを宣告された。4年後、ホスピスに入院してきたときには体が硬直し、指を動かすこともできず、呼吸も困難になっていった。
アイルランド系アメリカ人だった彼は、アイルランドの曲を聴きたがった。アイリッシュハープで民謡を弾くと、スティーブは目をつむり、リラックスしているようだった。彼にとって、なじみ深い故郷の曲は心をなごませてくれるものだったのだろう。
スティーブは若いころ日本で仕事をしていたことがあった。日本人女性とも結婚していたことがあり、その人との間に息子が一人いて、離婚後男一人で息子を育て上げた。私が日本人ということで、スティーブは日本の話をしたがった。そして時には日本の歌も聴きたいと言った。
「なぜこの病気に感謝してるかって言うと、病気になって初めて、人生においてなにが本当に大切かに気づけたんだ。今まではビジネスで成功することがいちばん重要だと思っていた。でも、車が3台倉庫にあったって、大きい家があったって、貯金があったって、今となっては何も意味がないんだよ。逆に、家族の諍いのもとになっいたくらいだ」
スティーブは苦笑した。
「本当に大切なことはそんなことじゃなかったんだ。もっと息子と一緒に時間を過ごせばよかった……」
そう言うと、彼は言葉に詰まった。
「人はみな、どれだけ収入があるかとか、どの大学に行ったとか、そんなことばかり気にする。そう思わない?でも、いちばん大切なのは幸せかどうかってことなんだ。僕は、今やっとそのことに気づいたんだ」
彼の言うことは、本当にそのとおりだ。人は死ぬとき、自分がこの世で手にいれたものを持ってはいけない。死んだあとに残るのは、自分が他人に与えたものだけだ。
ある日、私はスティーブに「千の風になって」を歌った。私にとって特別な曲を、彼と共有しようと思ったのだ。 私が唄うあいだ、スティーブは声をあげて泣いていた。
「この曲、僕のお葬式で歌ってくれないかな。そうしてもらえると本当にうれしい」
お葬式で唄うことを約束すると、スティーブは微笑み、目を閉じた。
その数ヵ月後スティーブは亡くなった。
私はお葬式で「千の風になって」を唄い、そこで初めて日系2世の息子さんに会った。スティーブが病気になってから、2人で沢山時間を過ごすことができたと息子さんは涙をこらえながら言った。
スティーブは千の風になったのだろうか? 私は、今でもよく彼の言葉を思い出す。
「いちばん大切なのは、幸せかどうかってことなんだ」
参照:『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)
この記事を拝読してスティーブジョブズの最後の言葉というのを思い出しました 私が直接聞いたわけではないので100%あってるかわかりませんが、今やっと理解したことがある 暗闇の中生命装置のグリーンの点滅を見つめ、私の勝ち得た富は一緒に持っていけない 愛情にあふれた思い出だけが持っていける これが本当の豊かさでありずっと一緒にいてくれるもの 力を与えてくれるもの と書かれていました
世界の頂点に達したといわれる人、人生の成功の理想と思われる人でも 最後は皆同じ思いを抱くものなのかと考えさせられる文章でした
素敵な言葉ですね。いつもコメントありがとうございます。
一番印象に残っているお話です。確かアイリッシュコーヒーを飲んでいたり、看護師にお尻を掻いてもらう
話もありましたね。
スティーブは宗教についてもいろいろ考えをお持ちの方で深く内省し魂の救いを求めていた方ではないで、しょうか。
千の風のイメージは深く彼の心を揺さぶりました。音楽がそして歌があればこそ彼の心を知り得た様に思えます。悲しくもすがすがしいお話しです。
峰吉さん、コメントありがとうございます。スティーブとの出会いは、とても印象深いです。今でもふと彼のことを思い出します。
スティーブのお話、心にしみました。「1番大切なのは、幸せかどうかてことなんだ」ということは、本当だと思います。私はスティーブのことは詳しくはわかりませんが、私ならその言葉の後にこう付け加えます。「2番目に大切なことは一人では幸せになれないということ。他者と喜びや悲しみを分け合って、幸せになることができる」と。
コメントありがとうございます。まさに、その通りですね。スティーブが大切なことに気づけた理由は、そういう周りの愛情があったからだと思います。
はじめまして、由美子さん。
ぼくの叔母も3年前からALS闘病中で、由美子さん、スティーブさんの感じたことが手に取るように共感しました。
叔母は30年程前に渡米して、アメリカ人と結婚後、毎年のように家族で日本に帰ってきては色々な所を旅行してきました。それまで誰よりも健康で活動的な叔母だったので、ALSの辛さは相当なものだと思います。
由美子さんが今後渡米する機会があったら、お知らせお願いします。
はじめまして。コメントありがとうございました。
ALSは、本当に辛い病気です。 ご家族にとっても、大切な人をALSで失うということはとても大変なことだと思います。
叔母さまの闘病生活が少しでも楽になる事、願っております。
今のところ渡米の予定はありませんが、そういう機会があればお知らせいたします。