あいまいな喪失
数日前、「死んでいて、生きている」複雑なグリーフ:『帰還:父と息子を分かつ国』という記事で、喪失と「あいまいさ」の関係について書きました。一般的に、死者との関係性や死を取り巻く状況があいまいである場合、グリーフが複雑になると言われています。この記事に、ある感想が届きました。
今日は、私の父の命日でした。東日本大地震があった年です。危篤の知らせを妹から受けても帰らず、葬儀にも行かなかった。父と私の関係はそういうものでした。(私の主観からだけのものですが)
父の死からは、私はグリーフを感じることがなかった。涙を流すこともあったけれど、それは悲しみから来るのではなく、何か憤りのようなものだった。コントロールが効かないほど、身体を硬くして震わせるようなものだった。
二年前に母を失いました。死に目には会えませんでしたが、その二週間ほど前に、生きている母を見ていました。死顔はとても苦しく辛く淋しそうなものでした。生きていた母の最後の顔は、驚くほど若くて、子供の頃、私の知っていた母の顔でした。その顔は、何も言わずに、ただ笑っていました。まるで光を放っているようにです。
私は、母に対して、グリーフを感じました。よく涙を流しました。母のことを思い出す度に、静かに涙が流れてくるのです。頻度は少なくなりましたが、いまでも、ときどき、あります。母は、私にとって、よいものとして、私のうちに生き続けている感じです。
さて、父は、となると、私にとって、よいものではありません。〈私の父〉的なものを、人間関係のあらゆる場面に見出して、苦しくなります。父も、また、私のうちに、生き続けています。おそらく、closure(※)のないものとして。私の場合は、どこまでも、現実から逃れようとして、父の死に向き合わなかったのですから、自業自得といえば、それまでです。
でも、私の中に、確かに、あいまいさの領域、複雑で不自由な領域があって、私自身を生きさせない力となっているようです。
※closure (クロージャ―)とは、最終的状態を指し、”a sense of closure” (終わりの感覚・終幕感)とも書きます。曖昧な喪失にはclosureがないため、グリーフが複雑になる場合があるのです。
怒りはグリーフの症状のひとつ
男性は父親の死後、「グリーフを感じることがなかった」と書いています。一方で、何か憤りのようなものがあり、コントロールが効かないほど、身体を硬くして震わせるような感覚があった、とも。これはまさにグリーフの症状です。
グリーフとは「深い悲しみ」や「悲嘆」を意味する言葉ですが、その症状は人それぞれです。グリーフを経験しているときの感情は、末期の病気を患う患者さんのそれとよく似ていて、「孤独感」「ショックと否定」「怒りと悲しみ」「不安と恐怖」「希望」「後悔」など様々です。彼の経験した「怒り」はグリーフにおける普通の症状と言えます。
故人との複雑な関係性
男性と父親との関係は、母親との関係より複雑であったことが推測できます。故人との関係性が曖昧だった場合、グリーフも複雑化する場合が多いです。その理由は、その人との間にあった “unfinished business” (決着のついていない問題)を解決する機会を失ってしまうためです。そのため、後悔や怒りが残ります。
「現実から逃れようとして、父の死に向き合わなかったのですから…」と彼は書いていますが、過去と向き合うのに遅すぎることはありません。お父さまとの間に何があったのかはわかりませんし、関係性を変えることはできませんが、自分の過去やグリーフと向き合うことは、最終的には自分のためになると思います。
さらに、グリーフというのは非常に厄介なもので、無視しようとしても避けることができない、という特徴があります。10年、20年経っても消えることはなく、ある時襲い掛かってくるものなのです。
グリーフは「夕食の洗い物」
グリーフは「夕食の洗い物」に例えられることがあります。ほったらかしにしておけばいつまでもそのまま。時間が経てば洗うのはもっと大変になります。グリーフも同じく、回復に向かうためにはまず向き合わなければいけません。
そして、もし「怒り」があるとしたら、相手(もしくは自分)を許し、その怒りを「手放す」必要があるでしょう。詳しくは「許すとはどういうこと?」を参考ください。言葉で言うのは簡単でも、実際に行うのはとても難しいことですが、最終的に自分自身が自由になるために必要な過程だと思います。
メッセージの中で、男性は父親への感情が「私自身を生きさせない力となっているようです」と書いています。自分の中にある複雑な感情を認識し、表現し、内省することによって、グリーフが「生きさせない力」から「生きる力」に変わっていくはずです。誰かに気持ちを話したり、音楽やアートで感情を表現したり、故人宛てに手紙を書くことなどをおすすめします。自分の気持ちに気づき、それを表現することが心の回復につながります。
私自身、自分の死に向き合わなくてはならない年齢に入ってきたように思います。これも、また、新たなグリーフの過程の中に入っていくことなのかもしれません。
人生はグリーフや喪失の繰り返しです。長く生きていれば誰もが経験することですが、それをオープンに話す機会は少ないと思います。今回、とてもパーソナルなお話を共有してくださった男性に心から感謝します。
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心の回復とは?
その後、上記の記事について、男性からコメントが届きました。
グリーフという言葉を、私はただ「悲しい」という感情のこととしか捉えていませんでした。グリーフは症状であり、つまり、ずっと続いていくかもしれない状態なのですね。
母が亡くなって、まる一年は、ほとんど何も手につかない状態でした。一周忌を過ぎたころから、少しずつ動けるようになりました。しかし、二年目を迎えようとするころには、既に、コロナが拡まって、お墓参りにも行けませんでした。コロナに対する自粛が身についてしまったのだろうかと思われるほどの〈動けなさ〉を感じています。
ブログ記事を読んで、たとえ私が父のことを忘れたとしても、父との問題、つまり、私自身の問題は終わっていないのだ、ということが分かってきました。「前に進めない」状態とは、どうやら、コロナばかりのせいではないようです。父との〈clousure〉がないことから来ているのかもしれないとも思えてきました。
母の死は、私にグリーフというものがあることを教えてくれたのかもしれない。そして、いま、父に対するグリーフと向き合う準備をしてくれたのかもしれない。
「向き合うのに遅すぎることはありません」という言葉は、私を励ましてくれます。何事にせよ〈向き合うこと〉ができるように、毎日できるだけ丁寧に生活していきたいと思います。自分のなかに居座っている厄介な〈怒り〉を抱えながら。
グリーフとは悲しみだけではなく、怒りや後悔など様々な感情を含みます。また、グリーフは私たちの心だけではなく、思考や体にも影響を及ぼします。お母さまの死後、「何も手につかない状態」になったこともグリーフの症状と言えるでしょう。
自然な成長の流れとは?
私の大学の恩師で米国認定音楽療法士のジム・ボーリング教授は、人間の心の回復についてこう語っています。
(回復とは)自然な発達過程であるものを解放するんです。ヒューマニズム的な考えで言うと、自然に任せれば、人は最大限の可能性を達成します。でも邪魔が入ったり、トラウマを経験したり、人間関係の問題に巻き込まれたりしますよね。そうすると、自然な成長の流れが妨げられるんです。
~「ジム・ボーリング:インタビュー」より
人間の成長を川の流れに例えるとすれば、本来それは流れるはずの方向に流れていくようにできているのだと思います。でも、トラウマやグリーフなどが流れをブロックしてしまう場合がある。そして、怒り、悲しみ、恐怖など様々な感情がダムの水のようにたまってしまうのです。これは比喩的な意味ですが、男性の場合は実際に「動けない」「前へ進めない」感覚があるようですので、文字通り心のブロックを感じているのでしょう。
私たちが抱いている感情や記憶をダムの水だと想像した場合、セラピーとはその水を少しずつ流していくような過程です。水が流れることでエネルギーが生じるのと同じく、感情を解放し、表現することによって、人間がもともともっている力が引き出されるのです。
「情熱の炎を通り過ぎる」ということ
もちろん、この過程は簡単なことではありません。心理学者のユングは「情熱の炎を通り過ぎない人間は、それを克服できない」という有名な言葉を残しています。ここで彼が指している「情熱の炎 」とは、男性がメッセージで表現したような心の痛みや苦しみのことです。
このような感情を避け続ける限り、心は回復しません。長年積もり積もった感情は、心が麻痺したような感覚につながる場合があります。そして、生き生きとした人生を送ることが難しくなるのです。だからこそ、「情熱の炎」に近づいてみる。心の痛みや苦しみを避けるのではなく、感じ、何等かの形で表現してみる。そうすることで少しずつ変化が起こります。
ボーリング教授はセラピーにおいてクライエントにとって一番大切なことは、本人の気づきだとも語ります。「この問題に取り組まなければいけない」という認識が何よりも大切で、全てはそこから始まるのです。男性はすでに自分の怒りを認識し、グリーフと向き合うプロセスを始めているのだと思います。
私はホスピスの患者さんとのセラピーを通じて、人間は人生の最期まで成長できることを知りました。心の回復に遅すぎるということはありません。男性からのメッセージは、そのことを思い出させてくれました。
情熱の炎を通り過ぎない人間は、決してそれを克服できない。人間の存在の唯一の目的は、単なる存在の暗闇の中で明かりをともすことである。他人が私たちを苛立たせるものはすべて、私たち自身の理解につながる。~カール・ユング
A man who has not passed through the inferno of his passions has never overcome them. As far as we can discern, the sole purpose of human existence is to kindle a light in the darkness of mere being. Everything that irritates us about others can lead us to an understanding of ourselves.” ― Carl Jung
丸子七重 says
こんにちは
私は音楽療法を、してますが
自分の身内?となりますと。
全く何も感じません。
理由は虐待を親や姉妹からうけてきて
子供が、障がいを持って産まれたから
dv にもあい、離婚
家にもくるな
とされました。
ですので
友人やお世話になった病院の先生が
親しい、近しい方です。
死に向き合う?にも
いらないからくるなとされれば
死んだと聞いても
いかないです。
Sato Yumiko says
コメントありがとうございます。心の回復についての記事を書きました。何かの参考になれば幸いです。https://yumikosato.com/2020/11/26/healing
三井 徳明 says
この記事を読んで考えさせられることがありました。子恋紹介されているグリーフ例はまれなものとは言えません。少なかれ多かれ同じ悩みを持つひとが身近にいるかもしれません。その人に何をしてあげれば良いかと言うことを知らない人がほとんどです。そのため症例を通じ解決法のヒントが載せられている本書き込みの意義は大きいと思います。
Sato Yumiko says
いつもコメントありがとうございます。