アメリカ人作家のジョーン・ディディオンは『悲しみにある者』(慶應義塾大学出版会)で、長年連れ添った夫を亡くしたのちの一年間を振り返っている。夫が心臓発作で亡くなったあと、しばらくの間、ジョーンは「摩訶不思議な考え(magical thinking)」をしていたと語っている。たとえば、彼女は亡くなった夫の靴を捨てることができなかった。彼が帰ってきたときに靴がないと困ると思ったからだ。そして夫の臓器提供を拒否した理由も、臓器がなければ彼は生き返ることができないと感じたからだった。
このように「死んだ人がもしかしたら帰ってくるかもしれない」という感覚は、グリーフの症状のひとつだ。愛する人の死を、頭では理解していても、心では受けとめられていないのである。
ー『死に逝く人は何を想うのか』(p219)
2005年に出版されたジョーン・ディディオンの “The Year of Magical Thinking” (『悲しみにある者』)は全米ベストセラーとなりましたが、日本ではあまり知られていない一冊だと思います。ジョーンは本の中で、大切な人を失った後の複雑な心境を率直に語っています。
この本を書き終わった直後に、彼女はひとり娘も失います。そのことは “Blue Nights”(『さよなら、私のクィンターナ』)に紡いでいます。どちらもまさに、グリーフの真っ只中で書いた本だということが伝わってくる内容です。
先日、久々に英語で記事を書き、ジャーナルに提出しました。テーマは音楽療法の倫理と自分自身のグリーフについて。その中でも『悲しみにある者』からの一文を引用しましたので、ご紹介します。
グリーフとは、そこにたどり着くまで、誰にもわからない場所である。大切な人がいつか死ぬ可能性があることは予測しているが、私たちはそのような想像上の死の直後に続く数日間、または数週間を思い描いてはいないし、その性質さえも誤解している。
死が突然であれば、ショックを受けることは予想できる。でも、そのショックが心と体を混乱させるとは思っていない。喪失によって、慰めようがなくなり、気が狂ったようになってしまうことは予想していても、実際に気が狂い、死んだ夫が帰宅したら靴が必要だと信じてしまうとは想像していないのだ。
Grief turns out to be a place none of us know until we reach it. We anticipate (we know) that someone close to us could die, but we do not look beyond the few days or weeks that immediately follow such an imagined death. We misconstrue the nature of even those few days or weeks. We might expect if the death is sudden to feel shock. We do not expect this shock to be obliterative, dislocating to both body and mind. We might expect that we will be prostrate, inconsolable, crazy with loss. We do not expect to be literally crazy, cool customers who believe their husband is about to return and need his shoes (P 188).
~The Year of Magical Thinking
私も兄を突然亡くしたため、ジョーンの経験と重なる点が多々ありました。兄の死後、兄の死を防ごうとする夢を何度も見たり、ある時は兄がまだ生きているという感覚がありました。
「死んだ人がもしかしたら帰ってくるかもしれない」という感覚は、グリーフによる「ショックと否定」の感情です。ジョーンのように「本当に気が狂ってしまった」と感じることもありますが、あくまでもグリーフの症状ですので、普通のことと言えます。
長年病気を患っている人が亡くなった場合、ある程度心の準備をする時間があります。でも、そのような場合でも、死が実際に起こったときはやはりショックがあり、「信じられない」という気もちになる場合もあります。
喪失とグリーフは誰もが経験することです。グリーフに関する知識があってもグリーフを避けることはできませんが、その過程を乗り越えていく(get through)上で役立つと思います。
今回書いた論文が発表されるかまだわかりませんが、ジャーナルに掲載されることになりましたら内容も併せてご報告します。
Next→グリーフとは?
最愛の妻を見送って2年半経った今でも、いろんな局面で、会いたい思いと帰ってくるかもしれない期待が湧き上がるのは、私が生きている限り無くならないだろう。
妻と知り合ってから、一緒に歩んだ人生の40数年間で、彼女の沢山の思いやりや目に見えていなかった優しい心配りが、一人になってようやく分かり始めて来た。一緒にいる間にもっともっと彼女を見つめて、感謝の心を伝えていればと、切ない思いがこみ上げる。そんな時、楽しい思い出を浮かべては、これから先、一緒に居ると思いつつ、あなたの思いを受け止めて私の道標にし、貴方への感謝に答える 、残された私の生き甲斐になって来ました。グリーフなんて乗り越えられず、ずっと抱き締めて生きて行く旅路の友達です。