
知識の唯一の源は経験である。
ーアインシュタイン
The only source of knowledge is experience.
– Albert Einstein
ホスピス音楽療法士の仕事を通じて私が学んだことの中で、最も大切なことのひとつは、死に直面した人の気持ちは私たちにはわからない、ということです。その認識は患者さんとの信頼関係につながります。わからないという認識があるからこそ、患者さんの心境を理解しようと努めるからです。逆にその姿勢がなければ、患者さんは心を開かないでしょう。
いわゆる「無知の知」です。
近年、尊厳死や安楽死を含む終末期(エンド・オブ・ライフ)に関する様々なテーマが議論されています。しかし、話を聞いていると、末期の病気と共に生きている人たちの気持ちを本当に理解していないのでは、と感じることが多いです。医療介護従事者や家族の視点から論議している人たちは、自分たちの介護経験や人生経験から語っているのでしょうが、自分自身が死に直面したことがない限り、末期の患者さんの気持ちは理解できません。
そして、自分の経験が必ずしも他の誰かの経験と重なるとは限らない、ということを理解することも大切です。例えば、家族が末期がんで終末期の段階になったとき、延命治療を行ったとします。本人の死後、それが本人にとっても良かったと感じるし、自分にとっても良かったと感じる。でも、同じ病気の人やもしくは似たような状況にある人にとって、その選択がベストだとは限りません。逆のシナリオの場合でも同じです。
介護者としての自分の経験や家族の闘病経験は、「万人に共通するものではない」ということを認識することが重要です。
私はこれまでアメリカと日本のホスピスケアに携わり、沢山の患者さんたちと出会いました。彼らの苦悩や恐怖だけではなく、希望や夢にも耳を傾けてきました。拙著『死に逝く人は何を想うのか』で紹介したように、彼らの心やスピリチュアリティーの変化には、いくつかの特徴があります。それでも、死に逝く過程はひとりひとり違います。
生き方が違うように、穏やかな死を迎えるために患者さんが必要としているものは、人それぞれなのです。
グリーフ(悲嘆)についても同じことが言えます。グリーフの過程は人によって異なります。たとえ似たような喪失を経験したとしても、そのグリーフプロセスは同じではありません。
私は10年ほど前に兄を亡くしました。兄弟を失った人と話をすると、お互いのグリーフに共通点を見つけるときがあります。例えば、兄弟の喪失は「忘れられた喪失」と言われることが多いです。なぜなら、兄弟を失った後、親戚や周りの人から「両親のためにも強くならないとね」というような事を言われるからです。結果的に、自分のグリーフに誰も気づいてくれない場合があります。
このような点で、兄弟を失った人とは共感できることがありますが、やはりグリーフは異なります。グリーフとは、死者との関係性、死が起こった状況(突然死、病死、自死など)、自身の対処方法などが影響するからです。
相手も自分と同じような経験をしているだろうという思い込みは、本当の理解にはつながりません。自分が経験していなことは根本的にはわからないのです。特に、死や死ぬこと(death & dying)、グリーフに関しては、「無知の知」を心に留めておくことが大切だと思います。
純粋な論理的思考は、経験的世界の知識を私たちにもたらすことはできない。現実に関するすべての知識は経験から始まり、その中で終わるのである。ーアインシュタイン
Pure logical thinking cannot yield us any knowledge of the empirical world; all knowledge of reality starts from experience and ends in it.
Albert Einstein
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