先日、松山で一般向けと愛媛大学医学部の学生および医療従事者向けに2つの講義を行いました。その際、いくつかの興味深い質問が寄せられました。これらの質問は以前にも他の方から寄せられたものなので、以下でそれらに対する回答をシェアします。
音楽療法士として、一番大切にしていることは何ですか?
音楽療法の学生だった頃、「自分のワークをしなさい」と恩師の Jim Borling 教授によく言われました。良いセラピストになるためには、まず自分自身と向き合わなければいけない、と。心理学者のカール・ユングも同じような事を言っていて、セラピスト自身の傷が治癒力の尺度となると強調しています。
もちろん、これは言うほど簡単ではありません。自分の短所やつらい過去、複雑な人間関係等、誰もが避けたい事柄にあえて向き合うのは大変なことです。振り返ってみると、学生時代「自分のワーク」をすることは、楽器の演奏や音楽療法の技術的な側面を習得することもずっと難しい事でした。セラピストになってからも、自分の内面の問題に向き合うよりも、クライエントの回復や成長をサポートすることに焦点を当てる方が楽だと感じました。
セラピーにおけるクライエントとの関係性
でも、自分の心の痛みを理解せずには、クライエントと良い関係を築くことはできません。ホスピスでインターンシップをしていた際、スーパーバイザーは音楽療法士にとって最も重要なのは音楽の腕前やセラピューティックなスキルではなく、私たち自身であると強調しました。「楽器の演奏や歌がどれほど上手でも、患者に信頼される存在でなければ、良いセラピストにはなれない」と彼は言ったのです。
「自分のワークをしなさい」というアドバイスは音楽療法士に特有のものではなく、医療介護のさまざまな職種に言えることだと思います。専門知識に関係なく、患者さんとの信頼関係を築くことは効果的なケアを提供する上で不可欠です。そしてこれは、生涯にわたる終わりないプロセスなのだとつくづく感じます。
私がホスピスで働きたいと思った一番の理由は、死が人生で最も恐ろしいものだと思ったからです。当初、私は24歳だったので、自分の死というより、大切な人の死について考えていました。ホスピスで働き始めてからも、大抵の患者さんは年配の方々だったので、自分のモタリティ(死すべき運命)について真剣に考えたことはなかったと思います。でも、26歳のある日、同年齢の患者さんに出会ったことで全てが変わりました。
その患者さんをここではマークと呼びます。彼は2人目の赤ちゃんを迎えたばかりで、長女はまだ幼児でした。ホスピスに入るわずか1か月前に、末期の骨ガンと診断され、残りの時間は長くない状態でした。マークはまだ終末期の宣告にショックを受けていたに違いありませんが、同時に彼は運命を受け入れたようにも見えました。彼が私に唯一頼んできたことは、彼の子どもたちのためにセッションをしてほしいということでした。今でも、セッション中、マークがシェイカーを振る娘の様子をじっと見つめていた光景が忘れられません。
自分の死すべき運命と向き合うこと
私はマークとの出会いで、誰もが必ず死を迎えるという現実を自分のことととして見ることを強いられました。ただ、死がいつ起こるかは誰にもわからない。先の事かもしれないし、マークのように予想よりもはるかに早く起こるかもしれない。そして、それに関して自分は何もできない。確かなのは、今この瞬間だけ。
マークは私にモタリティ(死すべき運命)と向き合わせてくれたのです。この気づきによって、私は毎日を十分に生きることを心がけるようになりました。ホスピスの仕事を通して、死への恐怖は減りましたが、完全になくなったわけではありません。むしろ、死を直視することによって、生きることに焦点を当てるように変わりました。死を恐れて生きたくないですし、それによって今この瞬間を見逃したくないのです。つまり、ホスピスの仕事を通じて学んだのは、大切なことは限られた時間をどのように生きるかだということです。
関 says
こんにちは。今年(2024年)の3月に父を、4月に母を見送り、今まだメソメソぐずぐずの状態です。きっかけは忘れてしまいましたが、佐藤さんの「死に逝く人は何を想うのか」の本に巡り合いました。泣きながら何度も呼んでいます。私が母に対してやってあげられたことは間違っていなかったと確認できた本でした。
本当に救われました、感謝の気持ちでいっぱいです。
また第3章の「グリーフについて」の内容が、とても心に響きます。本当に悲しい体験をした者の気持ちを汲み取っていただいている内容です。今、私を食事に誘ってくださる方に僭越な形になりますが、先に読んでくださいとコピーをお渡ししています。
佐藤さんの講演、機会がありましたら拝聴したいです。
Sato Yumiko says
関さん、メッセージありがとうございます。本がお役に立って嬉しいです。グリーフはとても疲れる過程ですので、くれぐれもご自愛ください。
村井香里 says
初めまして。
40代、大阪でピアノ教室を主催しております。
去年の9月に母が他界しました。最期は10日間ホスピスでお世話になり、最期は鎮静を希望し、逝きました。亡くなる4日ほど前まではホスピスで大好きな音楽を聴いていましたが、倦怠感と痛みが増し、音楽を止めてほしいといいました。その次の日に、もう反応ができなくなる鎮静を希望しました。倦怠感と痛みから解放され、険しい表情は和らぎましたが、3日後に息を引き取りました。聴覚は残っていることは知っていましたが、音楽を聴かせるという心の余裕が私にはありませんでした。音楽を聴きたかったでしょうか。気持ちがより穏やかになったのでしょうか。
Sato Yumiko says
とても興味深いご質問、ありがとうございます。聴覚は最期まで残る感覚であるだけではなく、人は最期に近づくにつれて聴覚の感度が高まる傾向があります。そのため、患者さんの中にはテレビの音や音楽、声などに敏感に反応する人もいます。このような場合、部屋をできるだけ静かに保つことが重要です。終末期の患者さんの中には音楽で穏やかになる人もいますが、全員が音楽を望むわけではありません。元気な時に音楽が好きな人でも、病気の時は音楽の刺激に耐えられないことがあるのは珍しくありません。そのため、お母様の希望を尊重して音楽を流さなかったことは正しい判断だったと思います。
村井香里 says
なんだか
心から救われました。
本当にありがとうございました。