1776年のアメリカ合衆国建国から、239年の月日が流れた。そのうちの222年間、アメリカは戦争に介入してきた。つまり、国が誕生して以来、93%の年月を戦争に費やしてきたのだ。
アメリカ人にとって戦争は、文化の一部と言っても過言ではない。
“Freedom isn’t free (自由はただではない)”というアメリカ人に親しまれている言葉がある。「アメリカを守るためには犠牲はやむを得ない」という意味だ。
この言葉は本来、戦死した兵士に敬意を示すための言葉だそうだ。ワシントンDCにある朝鮮戦争の慰霊碑にも、この言葉が刻まれている。国のために戦い、犠牲になった軍人たちを忘れてはいけない、という願いが込められている。
今日、ほとんどのアメリカ人は、自由のために自らが犠牲を払う必要はない。第2次世界大戦やベトナム戦争では、すべての国民が犠牲になる可能性があったが、今は違う。代償を払うのは軍人とその家族だけだ。
アメリカの徴兵制は1973年に終わった。当時ベトナム戦争中だったアメリカでは、学生デモが絶えなかった。徴兵制を終わらせればデモが減るだろうと考えたニクソン大統領が、徴兵制を廃止したのだ。
現在の米軍は全志願制だから、アメリカが戦争に突入するたびに、同じ人たちが何度も戦地に送られる。そのため、イラク戦争やアフガニスタン戦争では、軍人たちのPTSD(心身外傷後ストレス障害)が問題になっている。戦争から帰ってきて自殺する軍人の数が絶えないのだ。アメリカでは毎日22人、年間で8000人の兵役経験者が自殺している。
平和を訴える人たちは、「徴兵制を導入すれば、アメリカの戦争は減る」と言う。確かに、自分や大切な人が戦争に送られると思えば、人は目の色を変える。現にベトナム戦争中はデモが絶えなかったが、その後は大きな反戦デモなど起こらない。しかし、徴兵制を導入するなどと言う政治家がいるわけがない。そんなことを言ったら当選できないからだ。
自分が犠牲にならない人たちは、簡単に戦争に賛成し、戦争を支持する政治家に投票する。そして、そのような人ほど兵士をヒーローと呼んで美化する。しかし、戦争で犠牲になった軍人が望んでいるのはそんなことではない。
第2次世界大戦で親友を失い、広島の悲劇を見たジョージは、「戦争があったことを忘れないでくれ」と言った。19歳のときサイパン戦に送られたケンは、「僕は日本兵を殺した。本当に申し訳ない」と泣いた。戦時中、戦闘機の整備員をしていたロジャーは、「僕が悲しいのは、今でも戦争が続いているっていうことさ」と言った。
私は彼らの言葉を忘れない。
自由の名のもとに戦争を繰り返すことは、彼らに敬意を示したことにはならない。
平和は力によっては維持できない。理解によってのみ達成されるのである。
~アルバート・アインシュタイン
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佐藤由美子様
――1776年のアメリカ合衆国建国から、239年の月日が流れた。そのうちの222年間、アメリカは戦争に介入してきた。つまり、国が誕生して以来、93%の年月を戦争に費やしてきたのだ。――
先日、「NHK日曜討論」の場で、山本太郎参院議員が発言した「アメリカは93%の年月を戦争に費やしてきた」という言葉の背景について、早速、わかりやすく要約していただき、ありがとうございます。
今回の「安保法案可決」について、アメリカでは早くも、「日本では今後、この法案は憲法違反で訴訟される恐れがある」と予測しているそうです。
――イラク戦争やアフガニスタン戦争では、軍人たちのPTSD(心身外傷後ストレス障害)が問題になっている。戦争から帰ってきて自殺する軍人の数が絶えないのだ。アメリカでは毎日22人、年間で8000人の兵役経験者が自殺している。――
上記の言葉には、戦争で親友を失い、広島の悲劇を実見し、「戦争があったことを忘れないでくれ」と佐藤さんに言ったジョージ氏や、19歳でサイパン戦に従軍させられ、「僕は日本兵を殺した。本当に申し訳ない」と泣いたケン氏、また、「原爆投下は正しかったと思うか?」と佐藤さんに尋ねた米国退役軍人のロジャー氏など、アメリカ元兵士たちの姿が思い浮かびます。
このような事態が、日本の優秀な若き自衛隊員の身に起こらないように、われわれ国民は安倍政権の暴政をこれからも監視していかなければならないと思います。米軍の傭兵として使役させられることだけは御免です。
ますますのご活躍をお祈りします。
吉野勝美
吉野さん、いつもコメントありがとうございます。アメリカから学ぶことは多くありますが、戦争に対する考えや軍事産業のあり方などは、真似するべきことではありませんね。むしろ、そうならないように、日本はアメリカの失敗から学ぶべきだと思います。
難解なテーマですね。戦争をしたい人などいるはずがないと思いたい。一部の軍事産業の
経営者以外は。時あたかも国会で安保法制の審議を一昨日は終日TV中継をみていました。平和を祈れば平和がくるという願望は誰しもが抱きやすい。ところが国際政治の
現実はどうでしょう。我が国に他国が攻め入る危険は全くないと言い切れるのか。
やはりあらゆるリスクに備えて国民の平和な生活を守る手立てをこうじるしかない。
我が国の戦後70年の平和は憲法第9条が存在しただけではなく、米軍の圧倒的な軍事力が抑止力になっていたことは認めざるをえません。
我が国が独自の軍事力を備えればよいという説がありますが、それを最も警戒するのは
米国かもしれません。 それに経済負担が大きすぎるし社会保障・福祉にまわるお金はなくなるでしょう。私も青年期は平和な世界・世界の人々が手を取り合って仲良くという、今思えば幻想にとらわれていました。
歳月が過ぎるということは悲しいながら、現実をみればみるほど考えが変化してきました。
仲間たちと、戦争を知らない子供たちをうたっていた時期がなつかしいです。
もう一度あのころに戻りたい。 take me the countryhome 、想い出のグリーングラスの
CDを聴きます。 青春期へのラスト・ソングとして。
星さん、コメントありがとうございます。難しい問題ですね。アメリカに長年くらして実感したことは、戦争とは恐怖心をあおれば、わりと簡単に国民の理解を得られるということです。おっしゃるとおり、戦争をしたいと思っている人は少ないでしょう。しかし、危険を感じれば、国を守るために戦争はやむを得ない、ということになります。問題は、政治家やメディア等がその「危険性」作り出すということです。イラク戦争でもそうでした。イラクが核兵器を持っているという前提ではじまり、結局はもっていなかったんですね。