聴覚は最後まで残るのか
2003年、正規の音楽療法士としてオハイオ州シンシンナティ市のホスピスで働きはじめた私は、テレサという患者さんに出会った。クリスマスの1週間前のことだった。
テレサは80歳の末期の肺がん患者で、数日前ホスピス病棟に入院してきた。彼女の死は時間の問題だった。
死が迫っている患者さんには、様々な変化が起こる。しかし、死が近いということまではわかっても、患者さんが実際いつ亡くなるかは誰にも予測できない。このいわゆる待ち時間は、ご家族や友人にとって非常に耐え難い時間だ。
テレサをつきっきりで看病しているご家族を心配した看護師が、音楽療法を委託してきた。
部屋に入ると、疲れ果てた様子でうつむいて座っている息子のビルと娘のジョイスがいた。テレサはベッドの上で静かに横たわっていた。私が音楽療法士としてここに来たことを告げると、ビルがこう言った。
「母さんは昔からミュージカルが好きだから、音楽を聴くのはいいかもしれないな」
私がミュージカルの歌をギターの伴奏で唄うと、ビルはテレサの手を握り、ジョイスは涙ぐんでいた。そして歌が終わると、ふたりはテレサの思い出を語りはじめた。
「正直、いつ亡くなってもおかしくないと思ってた。それでも母さんは、まだ頑張って生きている。でも、もうだいじょうぶだよ。もう、心の準備はできているんだ…」
ビルが言った。ジョイスも静かにうなずいていた。
テレサは愛に囲まれ、充実した人生を送った人だったのだろう。もしかすると、だから彼女はとてもおだやかで、幸せそうな顔をしていたのかもしれない。
最後にテレサが好きなクリスマスソング「きよしこの夜」を唄うことにした。曲の最中、テレサの呼吸が急に規則的になった。彼女の目は少しずつ開いていき、最終的には完全に開いた。そして、歌の最後のフレーズと同時に、テレサは深く息を吸い込んだ。
「ああ、母さんはたった今死んだよ…」とビルが言った。
テレサの死はあまりにも静かなものだったので、ビルに言われなければ私は気づかなかっただろう。それは、私が生まれて初めて間近で見た人の「死」だった。テレビや映画で観て想像していたのとはまったく違う、とても自然で、信じられないほどおだやかな死だった。
しばらくしてから、ビルが言った。
「こんなかたちで母さんが最期を迎えられてよかったよ。今まで生きてきた中で、最も美しい瞬間だった。母さんはすばらしい女性だったから、母さんにふさわしい死に方だったと思う」
テレサは、「聴覚が最期まで残る感覚である」ということを、私に教えてくれた最初の患者さんだ。
今思えば彼女は、家族から最後のお別れを言ってもらえるのを待っていたのかもしれない。そして、母親との永遠の別れという、つらい現実を受け入れる心の準備ができるまで、家族を見守っていたのかもしれない。
参照:『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)
匿名 says
感動的なお話です。音楽療法への世間の理解が進むことを望みます。