先日、「時代の犠牲になった彼らのために」という記事で、アメリカのホスピスで音楽療法士をしていた際に出会った、キャサリンという女性について書きました。戦争で婚約者がPOW(戦争捕虜)となってしまった彼女は、「喪失やグリーフ(悲嘆)は、経験するまでわからないことだと思うの」と言いました。
この記事に関して、ご家族を亡くした女性からこんな感想が届きました。
今回のキャサリンさんのお話、素敵でした。失ったものだからわかること。
今私たちに自由があるのも、親の世代の戦争の犠牲のもとに成り立っている。最近、特に思うのです。
日本では、少し前に人生会議というポスターで大批判がおこりました。私もあのポスターでフラッシュバックが起こり、不眠状態になりました。厚労省は一日で撤回したそうですが、その後あちこちで議論を呼びました。
私からすれば、あのようなポスターを貼ることに誰も異論はなかったのかと、よほど末期の患者を身近に持つ経験者がいなかったのだな、経験したからこそわかることだと感じました。
そして同時に、戦争とは別の形でまた私たち個人の命が国に管理されてしまう時代になるのではないか。そういう恐怖や危惧を覚えました。
人生会議のポスターのニュースは、私も見ました……。死や死に方 (death & dying) についてオープンに話し合いをすることは大切ですが、このポスターは思いやりや配慮に欠けている、と多くの方が感じたのではと思います。
彼女のメッセージはこう続きます。
何年か前に日本で有名な女性ピアニストの方が亡くなりました。その方は、医師に勧められた一番効果がある抗癌剤の副作用が手足のしびれだと知り、はっきり断ったそうです。
天皇陛下の前で弾かれる予定があったからかもしれません。その薬で、たとえ半年命が伸びても、ピアノが弾けなければ私でないと。そして、それよりは効果が少ないとみられる治療法を選んだそうです。確か陛下の前で弾かれてから亡くなったと記憶しています。
個人個人、何が一番大事で、そのために何を犠牲にすることができるのかを意思表示できるようにする。本来、人生会議はこのようなものだと思うのです。
彼女の言う通り、喪失やグリーフだけではなく、死ぬことや大切な人を見送ることも経験するまでわからないことなのかもしれませんね。
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佐藤由美子様
佐藤様の音楽療法を一度、福岡で聴かせて頂きました。 短い時間でしたが、病にかかり医療従事者側から患者様側になって、とても癒されたお時間でした🤗
死ぬことや大切な人を見送ること、病気もそうですが…。
おっしゃられるとおり、経験した者にしかわからない、言葉にならない何かがそこにはあります。 今患者様側になったことで、医療従事者としてではなく、1人の人として、患者様のおそばに少しでも居させて頂けるようにと感じるようになりました。
人生会議のポスターは賛否両論あるようですが、本当に生きる期限が迫った方々やご家族にとっては、そして現実に見送った経験のある方々にとって、配慮が足りなさすぎてがっかりでした。
小野さん、こんにちは。お久しぶりです。コメントありがとうございます。本当に、自分がたどり着くまでわからないことが沢山ありますね…。小野さんの患者さんたちはラッキーだなと思います。