先日のブログ記事で、ジョージという米国退役軍人のストーリーを書いた。当時20歳だった彼は、アメリカ人と日本人が戦争で受けた悲劇を目の辺りにし、そのつらい経験を生涯抱えて生きた人だった。
アメリカのホスピスで音楽療法士として働くあいだ、私は多くの退役軍人に出会った。
その中でも忘れられないのが、ケンという患者さんだ。彼と出会ったのは、正式な音楽療法士として働きはじめて数年目のことだ。
ケンは70代後半だったが、年齢より若く見えるスリムな男性だった。ジーパンにT-シャツ姿の彼は、部屋の片隅にある椅子に座り、外を見ていた。
彼は落ち着いた表情で音楽療法に同意し、音楽ならなんでも好きだと言った。
私がハープの伴奏でフォークソングを弾いている間、ケンは遠くを見つめるような目をしていた。そして、曲が終わると私を見て言った。
「戦争中、中国人の女性に良くしてもらったんだ。君も中国人?」
「いえ、日本人です」
その瞬間、ケンは突然静かになり下を向いた。
「僕は……僕は……日本兵を殺した……。彼らは若かった。僕も若かった」
ケンは下を向いたまま、言葉につまった。
「今でも彼らの家族のことを想うんだ……。本当に申し訳ない……」
ケンは目を閉じ、肩を震わせて泣きだした。
彼の突然の告白に、私は驚いた。ケンの感情は、まるでその出来事が昨日起こったかのように、強烈で痛ましいものだった。
これは後で彼の家族から聞いたことだが、ケンは19歳で徴兵され、サイパンに送られたそうだ。
サイパンの戦いは、戦争末期に行われた戦闘である。3万人の日本兵が命を落とし、1万人にもおよぶ民間人が犠牲になった。アメリカ軍にも数千人の戦死者が出た。
ここでケンは一体何を見たのだろうか? 彼が家族にその話をすることはなかったそうだ。
どれくらいの時間が経っただろう。ケンは声をあげて泣いていた。おそらく数分だったと思うが、永遠のように感じた。
しばらくして彼がようやく泣きやんだ後、私はシンプルで馴染み深い曲を唄うことにした。”Beautiful Dreamer”だったと思う。アメリカ人なら誰でも知っている歌だ。
音楽が私たちの心を落ち着かせてくれるように、ゆっくりと唄った。そして歌が終わると、ケンはようやく顔をあげた。
「ありがとう」
彼に会ったのは、それが最初で最後だった。
その後も、ケンやジョージのように第2次世界大戦で戦った人たちと出合った。彼らが人生の最後に語る気持ちは、勝利の喜びでも敵に対する怒りでもない。
最後に残るのは、深い悲しみと罪悪感のみ。
人は死に直面したとき、必ず人生を振り返る。特に戦争を経験した人は、その当時のことを思い出すのだ。たとえそれが、一番思い出したくないことであっても……。
彼らにとって、戦争は一生終わることはない。
戦争を始めるのは年をとった人間だが、戦って死ぬのは若者だ。
~ハーバート・フーバー(第31代アメリカ大統領)
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佐藤由美子さsんが書かれた「ラストソング」を購入した後このブログを見ました。改めて音楽療法士の役割の必要性を感じました。私は30年あまりポピュラー音楽の学術研究を始め2001年には日本音楽療法学会にも参加し過去3回ポピュラー音楽をベースとする基礎的個人発表を行っています。まだ未熟な日本学会の音楽療法士への支援の一つとして微力ながら音楽療法も学んでゆきたいと思います。
三井さん、メッセージありがとうございました。「ラスト・ソング」もご購入いただき、嬉しいです。三井さんにとって大切な一冊になることを願っています。読み終わりましたら、ご感想をお聞かせください。今後ともよろしくお願いいたします。