「僕は日本兵を殺した」
私がアメリカのホスピスで寄り添ったのは、
第二次世界大戦を生き抜いた人たちの最期だった。
思い出の音楽とともによみがえってきたのは、
語られずにいた数々の証言。
「マンハッタン計画にかかわっていたんだ」
男は涙ながらに告白し、
「彼らが来る!ナチスが来る!!」
女は恐怖に囚われつづけた――。
これは、ひとりの音楽療法士が記録した、
日本人の知らない「もうひとつの戦争の記憶」であり、
「戦争」の比喩が不気味に飛び交う現代日本において、
トランスナショナルに平和の意味を考えるための一冊である。
【目次】
プロローグ 日本人の私が、戦争を経験したアメリカ人とかかわること
音楽療法について
第一部 太平洋戦争(Pacific War)
第一章 良い戦争という幻想――「僕は日本兵を殺した」
第二章 記憶の中で生きる――「忘れないでくれ」
第三章 原爆開発にかかわった人――「誇りには思っていない」
第二部 欧州戦線(European Theater)
第四章 アメリカの理想と現実――「僕たちは、なんのために戦っているのか」
第五章 女たちの戦争――「経験して初めてわかること」
第六章 ホロコーストの記憶――「ナチスが来る!」
第三部 忘却と記憶(Forgetting, Remembering)
第七章 祖父が語らなかったこと
第八章 忘れられた中国人たち
エピローグ その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にする
補遺
あの戦争をどう名づけるか/謝罪と責任――日米における観念の違い/アイデンティティと国籍――なんのために戦ったのか/英語に訳せない「歴史認識」という言葉
あとがき
Reviews
佐藤氏は本書のあとがきで「アメリカ人の戦争の記憶を知るためには、国民それぞれが有するさまざまな経験や感情に目を向ける必要がある。それは日本の場合でも同じだろう。」と記しているが、戦争という巨大な出来事を理解するためには、個人の物語を丁寧に掬い上げることが必要なのだ。前述した通り、戦争が人々に与えた傷は、その子供世代、孫世代にまで継承されている。一人ひとりの心の傷を巡るストーリーを読み解くことは、決して他人事ではなく、現在(そして未来を)生きる我々の人生の質を上げるうえでも、欠かすことができない仕事だと思う。ー森朋之(リアルサウンド)
「忘れたくても忘れられない記憶こそ、人生の最期によみがえるのだ」。米国のホスピスで音楽療法士として働く著者は、戦争の記憶に苦しむ患者に出会う。米軍兵士として、原爆プロジェクトのメンバーとして、ユダヤ人として、中国人として第二次世界大戦を生き延びた彼らと関係を結び、出来事を調べることを通じて、著者が日本人として培ってきた戦争にまつわる記憶は、複眼的なものへと変化してゆく。静かな筆致が変化の追体験を促す。ー週刊エコノミスト
著者も指摘しているが、日本では敗戦を機にすべての戦争責任が政府のものとなり、国民はみな被害者というひとかたまりの集団の中に溶けてしまった印象がある。一方で、戦勝国の兵士たちがいまだ加害意識を個として抱え続けている。この奇妙な対比から目をそらしたくないと強く感じた。-森絵都(文藝春秋)
日本国民がかつて戦争で苦しんだ悲惨な話は、ここ日本ではたくさん語られ続けている。しかし、当時の敵国であるアメリカでも実は苦しみ続けている人々がいるという現実を知る機会は殆どない。音楽療法士の佐藤さんだったから、いや、「日本人音楽療法士」の佐藤さんだったからこそ、彼らの心の奥底で鍵をかけられ重くしまわれた「戦争」を、人生の最後の最後に吐き出せることができたのだろう。ー白川優子(本が好き)
本書に登場する患者は、日本兵を殺した退役軍人、罪悪感に悩まされ続けた原爆開発関係者、ホロコーストの記憶に悩まされ続けた患者など、戦争による心の傷を最期まで癒されない人々。心情を吐露する相手が日本人という状況が微妙な緊張感を醸し出す。知らなかった事実とともに「戦争には勝者はいない」ということを改めて考えさせられた。ー教職研修
書店の目立つ平台に嫌韓、嫌中本がずらりと並び、ネット上には隣国への侮辱的な記述があふれる。世情に敏感なテレビは「日本スゴイ!」と自賛する番組を垂れ流す。いつからか、世の中のムードに表現しがたい気味悪さを感じていた。なぜこんな風になったのか。本書でその原因を探るヒントを得た。戦争体験者が人生を終え、この国から「記憶」とともにいなくなっているからだ。ー粟飯原浩(週刊読書人)