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佐藤由美子の音楽療法日記

人生の最期に聴く音楽

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Home » 講演・セミナー » 「戦争の歌がきこえる」刊行イベントで私が学んだこと

「戦争の歌がきこえる」刊行イベントで私が学んだこと

オンラインイベントの動画UP

先日、『戦争の歌がきこえる』刊行記念イベント、「終戦記念日を前に語りたい、僕たちが知らなかった戦争のこと」をオンラインで開催しました。お仕事の都合などで参加できなかった方々は、YouTubeにUpされた動画をご覧ください。↓

https://www.youtube.com/channel/UC_al4r2kYE_4NYdsoaJ1lug

※イベントの文字起こしが柏書房のWebマガジンへ。↓

https://note.com/kashiwashobho/n/n6edd702d80e1#yQQRz

このイベントを企画してくれた税所篤快(さいしょ・あつよし)さんは、発展途上国の子どもたちの教育支援を行っています。大学時代にバングラデッシュに訪れがことがきっかけで、活動を始められたそうです。その他、ゲストはライター・編集者の徳瑠里香(とく・るりか)さんと弁護士の徐東輝(そぉ・とんふぃ)さんでした。

3人とは今回初めてお話ししたのですが、バックグラウンドも経験も異なる彼らとの時間はとても貴重でした。いくつか印象深かったポイントをご紹介します。

終戦記念日をどう名づけるか

『戦争の歌がきこえる』の最後の〈補遺〉で、「この戦争をどう名づけるか」について書きました。特定の「戦争」の呼び方は、各国によって異なります。「太平洋戦争」はアメリカの視点から見た第二次世界大戦の呼称で、当時日本では「大東亜戦争」と呼んでいました。中国では日中戦争を指して「抗日戦争」と呼びます。これらの呼称には、その国の記憶やイメージが反映されています。そして、日本では先の戦争の呼称を変えた(厳密には、GHQの政策によって変えさせられた)ことが、戦後の日本人の第二次世界大戦への視点に大きく影響を及ぼしました。

それを踏まえて、在日韓国人の徐東輝さんが興味深いことを話してくれました。韓国人は8月15日を「光復節(こうふくせつ」と呼ぶそうで〈光が戻った日〉という意味だそうです。徐東輝さんは日本で生まれ育ちましたが、家庭では「終戦記念日」と言わずに、「光復節」と呼んでいたそうです。

「終戦記念日」が日本特有の儀礼だということは知っていましたが、「光復節」という呼称は初めて聞きました。歴史的な出来事は、見る立場によって異なる意味を持ちますが、8月15日の呼び方もその例のひとつなのだと知りました。

祖父母の戦争の記憶を知り、語り継ぐこと

第二次世界大戦の経験者の多くは、戦時中の体験を語らずに亡くなったと思います。これは、日本でもアメリカでも同じです。その理由はさまざまだと思いますが、私も祖父から戦争体験を聞いたことは一度しかありません。ただ、その一回きりの会話がとても印象深かったため、本書でも紹介しました。

徳さんは、最近おばあ様に戦争体験を聞く機会があったそうです。LINEでの会話だったそうですが、これまで聞いたことのない体験談を聞くことができたそうです。そういう話を娘さんにも伝えていきたい、と徳さんは言ってました。徐東輝さんは、亡くなったおじい様やおばあ様から戦時中の経験を聞かなかったことを、今とても後悔しているそうです。

もし、戦争を体験したおじいさんやおばあさんがご健在の方は、今のうちに話を聞いておいてください。徳さんのように、聞けば話してくれるかもしれません。その体験談は貴重なものだと思いますし、戦争の記憶をひとりひとりが語り継いでいく必要があると思います。

加害の歴史を知る理由

毎年この時期になると、日本人が経験した被害のストーリーが繰り返し語られます。原爆、本土空襲、沖縄戦、満州引き揚げ、特攻隊など、悲しいストーリーは多いです。これらの体験を語り継ぐことは大切ですが、それだけでいいのでしょうか? 今を生きる私たちの役割や責任とは? これらの難しい問題についてもゲストの皆さんとお話ししました。

今回、私がこの本を書こうと思ったそもそものきっかけは、世界中に広がるナショナリズムと日本でも問題になっている歴史修正主義に危機感を抱いたためです。この点については「『日本人』の私たちが“もう一つの戦争の記憶”をたどる意味」でもお話ししました。

イベント中、参加者の方々がチャット機能を使用してコメントや質問を送ってくれたのですが、その中でこんなコメントがありました。

「非当事者」による継承の課題について考えながら聞いています。陸軍兵だった祖父が詳細にわたる「殺戮」の様子を日記として残していました。誇らしげに。

気になったので、イベントの後ご本人に連絡したところ、下記のツイートを送っていただきました。

1937〜40年、20代前半で陸軍騎兵第二連隊に従軍した祖父は、満州に渡った37年8月からハルピンに帰還する同年12月まで日記を書き残していた。略奪と殺戮の情景が何の悪気もなく淡々と描かれており吐き気をもよおす。当時、現地の人々がいかに蔑視されていたかも一目瞭然。#戦後74年 #証言 #日本陸軍 pic.twitter.com/4pLCbLQUmR

— 松谷信司「キリスト新聞」編集長(プロテスタント2世)✝🌈🇵🇸🍉 (@macchan1109) August 21, 2019

こちらの日記には、かなり恐ろしい出来事の詳細が書かれています。

松谷さんは幼いころから、おじいさまが戦争で中国人を殺したことがあるということは何度か聞かされたことがあり、日記の存在も知っていたそうですが、ここまで詳細に記録していたという事実を知ったのはつい最近のことだそうです。孫には優しいおじい様だったそうです。

ツイートの中で松谷さんはこうも書かれています。

ただ父の記憶によれば、殺した中国人が絶命する際、祖父を睨んだ憎悪の目つきが脳裏を離れず、帰国後、戦争が終わってからも時折悪夢にうなされることがあったと話していたという。自分の身内や日本という国を貶めようなどとは毛頭思わないが、事実は事実として歪曲されることなく歴史に刻まれるべき。

なぜ、加害の歴史を語る必要があるのでしょうか? その理由のひとつは、事実を事実として歴史に刻まなければ正直な態度ではないからです。これを英語では、”intellectually dishonest” (知的に正直でない)と言います。

本書の中では日本占領下の中国で生まれた患者さんとの出会いを紹介しました。私も彼と出会うまで、第二次世界大戦中アジアの国々で起こったことをほとんど知らなかったので、驚きました。自分と違うバックグランドを持つ人たちの話を聞くことは、自分の中にある偏見や無知と向き合うことでもあります。それは必ずしも楽しい過程ではありませんでしたが、人として、音楽療法士として、私を成長させてくれたと思います。

今回のイベントでも沢山の発見がありました。ゲストや参加者の皆さんに心から感謝します。

『戦争の歌がきこえる』の電子版が8月14日に発売になります。すでに読んでくださった方は、ぜひご感想をお寄せください。この本を読んで思い出したこと、疑問に感じたこと、考えたことなど、TwitterやFacebookでシェアしていただけたら嬉しいです。

戦争の歌がきこえる 電子版

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コメント

  1. Mikami Takanori says

    at

    ずいぶん昔のことになりますが、刀匠技術研修会の懇親会の余興で軍歌を披露した方がおられました。私も、軍歌など、戦中戦後の古い歌はとても好きで、楽しく聞いていましたが、講師の川島忠善先生が、ぽつりと「そんなもんじゃない。そんなもんじゃないんだ。」とつぶやかれました。
    先生は、シベリア抑留に遭われた経験がある様子で、そのつぶやきは、今も聞こえるような気がします。
    戦争を知らない私は、それからは、余興での軍歌は、控えるようになりました。

    戦争をするには、避けることのできないそれなりの理由があったことでしょう。
    日頃は、とても良い人でも戦争となれば、戦わなくてはならず、やがて麻痺して、生きるため鬼となってしまう。そのような状態に、自分達を追い込まないようしなくてはならないなと終戦の日、下記戦争の歴史を読んで改めて想いました。

    「太平洋戦争とは何だったのか ソ連の満州侵攻(下)―絶望の満州から地獄のシベリア抑留へ」
    http://historyjapan.org/invasion-on-manchuria-by-soviet-2?fbclid=IwAR0BJPwkuHp2QzvDDFvwR4M0hrk1c0qkzTMRjUFKVB42rz_OvrbuYiSAViA

    しかし、その当時の歌は、明日がわからない暗い世情の中で、人々が、生きるために励まされていた歌なので、人の心を明るく元気づけ、励ます力は半端でなく、しかも私のような音痴でも歌いやすいため、時折口ずさむことがあり、励まされています。

    開催されたイベントには参加できませんでしたが、とても良い企画だと思います。戦争を知らない私たちが、戦争を招かないよう活動してください。応援しています。

    読み込み中…
    返信
  2. nanae maruko says

    at

    こんにちは
    私は産まれた時、すでに祖父は亡くなってまして、祖母から戦前、戦時中、戦後の苦労を聞いています。青物や商売をしてきて班長として配給食品の担当になりかつ、市街地へ牛の世話にいった話、爆撃にあい
    あわや、死ぬ所だった話など
    聞きました。
    また、祖母は戦前に旧樺太にいた時のロシア軍の怖さを話してくれました。
    戦争の映画などはみたことはありますが、テレビドキュメンタリーなどで、旧満州から命からがら逃げてきたかたのお話は
    壮絶でした。
    そしてお知りあいが、原爆被害者当事者でありまして、幼い頃のお話をお聞きしました。

    戦争は起こしてはいけない。
    本当にそう感じます。
    私が音楽療法で、高齢者さんの施設など伺いました時
    ある女性が、この曲は聞きたくないと泣かれました。
    私は、サブ、お手伝いで入ってましたので?選曲はリーダーに任せていました。
    異国の丘、でした。
    あとで調べると吉田正さん作曲の
    多分、シベリアの、捕虜時代の苦しさを
    歌った歌でした。

    その後、日本には軍歌など沢山歌集にありますが
    使用するときは、その時代背景や、歌詞の内容などを良く調べてからではないと
    使用出来ないと感じました。
    親族を亡くされた悲しみを考えて
    曲選びには慎重になりました。

    上の命令で人を殺す

    戦争は本当に、むごいと思います。

    読み込み中…
    返信
    • Sato Yumiko says

      at

      コメントありがとうございます。音楽療法の際に軍歌などを使用するときは、その時代背景や歌詞の内容などをよく調べておくというのは大切なことですね。ただ、クライエントが音楽にどう反応するかは予想できませんので、どのような反応があっても、それにいかに対応するかが音楽療法士として大事なことだと思います。

      読み込み中…
      返信

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