昨年の夏、都内で「グリーフ」をテーマにした講演を行った。グリーフとは喪失後に起こる深い悲しみのこと。講演の後、50代前半の女性が話しかけてきた。
「私は母の死をずっと自分のせいだと思っていました」
彼女は突然泣き出した。
女性のグリーフはあまりにも生々しいものだったので、母親の死は最近起こったことなのだろうと思った。しかし話を聞いてみると、それは10年も前の出来事らしい。
彼女の名は亜紀さん。母親は心臓病で入退院を繰り返していた。母親の容態が悪化し、家族で最期を見守っていたある日、看護師が家族に告げた。
「もう点滴が入りません」
それがどういう意味なのか亜紀さんにはわからなかった。でも、数日後母親が亡くなったとき、彼女はどうしようもない罪悪感に襲われた。
「点滴をやめたことで、脱水症状になって母は死んだと私は思いました。なんであの時、看護師さんになんとしてでも点滴をしてもらわなかったのか……。母の死は自分のせいだと感じました」
亜紀さんの目からは涙があふれ続けていた。まるで、ずっとこらえてきた何かを止めることができなくなったかのように……。
人が死に近づいたときどのような過程をたどるのか、話題になることは少ない。医療関係者の中にも「死の自然な過程」をよく知らない人がいる。彼らの主な役割は死を防ぐことであり、死の過程をサポートすることではないからだ。
亜紀さんの母親に起こった「脱水」とは、実は死を迎えるときに起こる自然な現象である。
終末期の患者さんにとって脱水は苦しいものではなく、いくつかのメリットがあることも知られている。たとえば、肺の分泌物が少なくなるため呼吸が楽になることや、むくみを減らし患者さんを楽にすること。消化液が少なくなることで嘔吐、吐き気、お腹の張りを軽減できること。また、脱水状態になると脳からエンドルフィンと呼ばれる麻薬のような物質が出るため、心地よさが増すとも考えられている。
ー「死に逝く人は何を想うのか」
このような理由から、ホスピスケアでは点滴をしない、あるいは点滴の量を減らす、などの工夫がなされている。一方で、点滴という行為が患者さんにとって苦痛となることは多く、それはさまざまな研究からも明らかになっている。
つまり、亜紀さんの母親は脱水が原因で亡くなったのではなく、脱水はあくまでも死に近づいたために起こった「自然な現象」だったのだ。死を迎える人に点滴は必要なく、むしろその方が本人にとっても楽だ。もし彼女が、医師や看護師からそのような説明を受けていれば、母親の死を自分の責任だと感じることはなかっただろう。
「もっと早く知っていれば……」
別れ際に亜紀さんは言った。
私はこれまで終末期ケアや音楽療法についてひとりでも多くの人に知って欲しいと思い、執筆や講演活動を続けてきた。その過程で、「もっと早く知っていれば……」という声を患者さんやご家族から何度聞いたかわからない。
「聴覚が最期まで残っていることを知っていたら、お父さんが亡くなる前に話しかけたり、音楽をかけたりしてあげたのに……」
「認知症の人と音楽で関わりをもつことができると知っていれば、母親にもっと何かしてあげられたかもしれない」
「緩和ケアってこういうものだと知らなかった。もっと早く受けていればよかったと後悔している」
このような言葉を聞くたび、医療関係者と一般の人の間にはすれ違いが起こっているのではないかと感じる。
亜紀さんは母親に起こったことが自然なことだったと知った後、自分を責めなくなったと言う。
「10年間ずっと悲しみをこらえていました。でも最近、ようやく涙が出るようになったんです」
彼女は初めて笑みを浮かべた。