相模原殺傷事件が起きてから6年が経った。犠牲者を追悼するため、メディアは「弱者に思いやりを」「弱者を差別しない社会をつくろう」と呼びかける。しかし、障害者の置かれている状況が変わる兆しは見えてこないばかりか、むしろ悪くなっている。共同通信が全国の知的障害者の家族を対象に実施したアンケートでは、事件後、障害者を取り巻く環境が悪化したと答えた人が7割だった。
私は長年アメリカに住んでいるが、アメリカ人と日本人では障害に関する考え方が大きく違う。そもそも英語では障害者(disabled people)とは言わない。障害を持つ人、障害と共に生きる人(people with disabilities)という言い方をする。子どもの場合は、障害児(disabled children)とは言わず、特別なニーズのある子ども(children with special needs)と呼ぶのが一般的だ。あくまでも「人」に焦点を当て、私たちには人間として同じ権利があることを強調する。
そして、アメリカ人はそれを子どもの頃から自然に学んでいく。「インクルージョン・クラスルーム」と言って、障害児も健常児(typical children)も同じ学校に通う。障害のあるすべての子どもたちが、健常児と同じように学ぶことができる「環境」を提供することは、公立学校の義務であると法律で定められているのだ。
教育だけではない。交通機関や公共機関へのアクセス、雇用や住居の機会均等が法律で守られており、当然のこととして認識されている。
このような社会では、障害や病気のある人を「弱者」とは呼ばない。もし、彼らを “weak people (弱者)”などと呼んだら、アメリカ人は間違いなく「差別だ」と言うだろう。もし、障害者が「社会的弱者」であるとしたら、社会が変わる必要があると彼らは考えるのだ。
「弱者」の代わりに英語では、「ボーナブルな人たち(people who are vulnerable)」という言い方をする。日本語にはない表現で、「弱者」とも意味が違う。ボーナブルは、障害の有無を問わず誰もが経験することだ。たとえば、言葉の話せない国に行ったとき、暗い夜道を一人で歩いているとき、風邪にかかったときなどには、ボーナブル(または、”バルネラブル”)な状態になり得る。
私が生まれて初めて、長期間このような状態を経験したのは、19歳でアメリカに渡ったときだった。英語がほとんどできない状態で大学に通いはじめた私は、すべてのことにおいて助けが必要だった。どのように大学のクラスを取ればいいのか、宿題は何なのか、どうすればバスに乗れるのか、シャワーはどう使えばいいのか。当たり前のことがわからなくて本当に困った。とにかく助けてくれそうな人を捕まえて、慣れない英語で何とかわかってもらおうとする日々だった。このような状況が1年ほど続いた頃、心身共に限界を感じた。常に助けられる立場にいるということが、いかに疲れることで苛立つことかを初めて実感したのだ。
この経験は、後に音楽療法士となり、障害や病気と共に生きている人たちと接する上で役に立った。私には障害や病気はないかもしれないが、ボーナブルな状態になったことは何度もある。その点で共感することができるからだ。
「弱者」という言葉が、〈彼ら〉と〈私たち〉を区別する言葉だとしたら、「ボーナブル」は、人間誰もが経験する苦しみや悲しみを通じて、私たちをつなぐ言葉である。
「障害者」や「弱者」とそうでない人たちを、白黒で分けることはできない。あなたが今健康だとしても、病気や事故でいつ障害をもつかわからないし、すべての人に死は訪れる。そして死期が近づいているとき、私たちは人生で最もボーナブルな状態にあると言えるだろう。どんなにお金や学歴があっても、どんなにハンサムでも美人でも、死ぬときは皆ボーナブルだ。突然ポックリ死ぬことがない限り、確実に誰かの支えや助けが必要になる。
そのときあなたは何を求めるだろう? 弱者というカテゴリーに振り分けられ、「かわいそう」と思われたいだろうか? どうせもうすぐ死ぬのだからと、生きていても意味のない人間のように扱われたいだろうか?
おそらくあなたは、体は弱っていても、人間として本質的な部分では変わっていないと感じるだろう。だから、ありのままの自分を受け入れて欲しいし、自分の気持ちをわかって欲しい、と願うと思う。周りの人に、完全に理解されることは無理でも、わかろうとする努力をして欲しい。アメリカで英語が話せず苦労したとき、私はそう感じた。そして、私が今まで出会ったホスピスの患者さんや障害のある人々の切実な願いも、同じだった。これは、人間誰もが心の奥底で願っていることなのだ。
善意の人々からの浅い理解は、悪意の人々からの絶対的な誤解よりも苛立たしい
キング牧師はそう言った。
障害者に対して悪意を抱いている人は少ないだろう。しかし、私たちの理解は深いと言えるだろうか?彼らを「弱者」と分類し、無意識に差別してはいないか?
私たちが目指すべき社会は、「弱者を思いやる社会」ではなく、「弱者をつくらない社会」だと思う。
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ヒロセ says
精神障害3級です。
子供も発達障害です。私はすべて個性としてみて接してます。
でも、いろんな部分で支援が必要で私も嫌でも人と関わり支援について相談します。でも最近すごくそれが疲れるし、話してて腹立つし。。。
これ読んで何となく理解できました。
常にヘルパーも相談員もやってあげてる目線なんですよね。自立に向けての支援なはずなのに、常にしてもらってる感。助けてもらってる感がつきまとう。
ここに苛立ち、それをわかってもらおうと説明するけど上から目線な答えだけ。そのとに疲れてるんだと、なんだかスッとつかえたものが消えました。
朝岡純子 says
はじめまして、朝岡と申します。
先生の記事に心を動かされて、思わずメールをさせていただきました。
私は長年保育士をしていましたが、その半分は障害児といわれる子どもたちと付き合ってきました。その頃から、障害児という言葉がしっくりこなくて、スペシャルなニーズを持っている子どもたちという言葉を知った時に腑に落ちたことを思い出しました。だって、こんなに可愛くて子どもらしくて、保育園で、同じ時間を同じ場所で一緒に過ごすのなら、この子達だけ楽しめないなんて、差別だわ!と思っていたからです。
その後、50歳の時に公務員を辞めて、社会福祉法人に転職し、主に障害児の生活相談や療育に関わる仕事をしています。
この度、ある研修会の分科会のパネリストとして登壇するのですが、先生のこの記事をみなさんに紹介させていただけないでしょうか?研修会のテーマは人権侵害や差別についてです。心理士等が40名ほど参加します。
もし、お許し頂けるのであれば、先生のお名前やサイトも紹介したいと思っております。
何卒、ご検討ください。
Sato Yumiko says
朝岡さま、はじめまして。コメントありがとうございます。返信が大変遅くなり申し訳ございません。記事やサイトのシェアは大歓迎です!
伴 博 says
私は77才の男性、大学では作曲を専攻し、卒業後は公立高校の音楽教師をつとめ、退職後心臓病の手術を体験したのち、体調を考慮しながらの活動として、「ヒロシの歌の会」の出前を始めました。現在は地域の特別養護老人ホーム、グループホーム、デイサービスセンター、障がい者作業所、生活支援センターなどの施設で歌の会をしています。音楽療法については教員時代にいくつかの講演をきいただけでほとんど知識がありません。前述の活動を続けて15年経った今、音楽を通じてふれあう集団の中の「個」の抱える問題と直面することが増え、このまま漫然とレクリエーション活動を続けてよいものかと考えるようになり、積極的に音楽療法の勉強を始めています。佐藤由美子さんの豊かな経験と人間味あふれるお話をこれからもぜひお聴きしたいと願っています。
Sato Yumiko says
コメントありがとうございます。音楽療法のお勉強をされているのですね。これからもよろしくお願いします。
Sing-る says
とても勉強になりました。
自分自身、軽度ではあるものの精神障害者(3級)なので、
書かれていたことはとても心に沁み入るものがありました。
『ボーナブル』という言葉…初めて知りました。
もう少し学んだら、こういうタイトルの、こういう内容の
詩を書いてみようと思います。
Yumi says
ありがとうございます。