音楽療法の基礎知識
音楽療法とは何ですか?
音楽療法とは、クライエント(対象者)の身体的、感情的、認知的、精神的、社会的なニーズに対応するために、音楽を意図的に使用する療法です。音楽療法は確立された専門職で、トレーニングを積み、資格をもった音楽療法士によって行われます。
米国音楽療法学会(American Music Therapy Association)の定義には、このように示されています。
Music Therapy is the clinical and evidence-based use of music interventions to accomplish individualized goals within a therapeutic relationship by a credentialed professional who has completed an approved music therapy program. ~American Music Therapy Association
(訳) 音楽療法(Music Therapy)とは、臨床的かつエビデンスに基づいた音楽の使用法。 (セラピストとクライエントの)治療関係の中で、個人の目的を達成するために音楽を利用する。承認された大学を卒業し、資格をもった音楽療法士によって行われるものである。
現在、米国認定音楽療法士は7000人、日本音楽療法学会認定音楽療法は3000人ほどいます。
音楽療法士になるには?
音楽療法の資格は国によって異なります。
米国認定音楽療法士(Board Certified Music Therapist = MT- BC)になるには、承認された大学の音楽療法のカリキュラムを終了しなければなりません。音楽療法士になるには、さまざまな楽器や音楽を使いこなすスキルが必要があり、ピアノ、ギター、歌ができることが条件です。
そして、セラピーの過程を知る必要があります。大学では、音楽療法理論、音楽史、音楽理論、心理学、解剖学などを勉強し、臨床経験を積みます。その後、フルタイムで6ヶ月以上のインターンシップを実行すると、試験を受験する資格が与えられます。日本音楽療法学会認定音楽療法士になる方法は、日本音楽療法学会のページをご覧下さい。
アメリカでは音楽療法士は国家資格ですか?
アメリカでは、一般的に国ではなく州で専門職の資格を出します。近年では、米国認定音楽療法士(MT-BC)の資格を認める州が増えてきています。
日本のシステムと大きく違う点は、音楽療法士の資格がCertification Board for Music Therapists(CBMT)というひとつの団体から出ているという点です。そのため、アメリカで “board certified music therapist(認定音楽療法士)”を名乗った場合、その人がどれだけのトレーニングを積み、どのような資格をもっているかということがはっきりとわかります。これは音楽療法を受ける人や雇用者に大きなメリットがあります。安心して音楽療法を受けたり、音楽療法士を雇ったりできるからです。
音楽療法士はどこで働くのですか?
音楽療法士は様々な場所で仕事をします。 例としては、精神病院、リハビリ施設、医療病院、外来診療、デイケア治療センター、発達障害者にサービスを提供する機関、薬物やアルコール依存症治療のプログラム、刑務所、高齢者センター、老人ホーム、ホスピス、学校などです。
音楽療法の歴史とは何ですか?
音楽が人間の癒しにつながるという考えは大昔からあり、古代エジプトまでさかのぼることができます。今日的な意味での音楽療法が行なわれるようになったのは第二次世界大戦中の欧米です。
その当時、戦争によって身体的および感情的なトラウマに苦しんでいた軍人のため、音楽家が軍人病院に行って音楽を弾きました。医療の現場で働いていた人々や音楽家は、音楽の力に気づいたと同時に、音楽療法を行うにはトレーニングが必要だと実感しました。それが大学での音楽療法学科設立のきっかけとなったのです。
誰が音楽療法の対象となりますか?
音楽療法はどんな人にも役立ちます。精神疾患、発達障害、認知症、薬物依存症、身体障害、脳損傷、新生児、慢性疼痛、末期の患者さんなど、さまざまなな人が対象となります。たとえ健康な大人でも、音楽療法のベネフィット(恩恵)を受けることができます。音楽療法士は出生前から終末期を含めた、人生すべての段階で人々をサポートします。
何で音楽療法士がもっと病院にいないの?
都内のデイサービスで音楽療法をした際、「何で音楽療法士がもっと病院にいないの?」と失語症の女性に聞かれました。彼女は50代で脳梗塞になり、言葉が話せなくなったそうです。それでもリハビリによって少し言葉が話せるようになった彼女は、音楽療法に参加した後、一生懸命私に何かを伝えようとしました。よく耳を傾けると、彼女が言いたかったことはこういうことでした。
私が入院したときに音楽療法士がいれば、入院生活の心の支えになっただろうし、リハビリにも効果的だったはず。なんでもっと音楽療法士が病院にいないの?
本当にそのとおりです。アメリカではたくさんの音楽療法士が病院やリハビリ施設で働いています。日本にもトレーニングを受け資格を持った音楽療法士がたくさんいます。その人たちが働ける環境ができてほしいと思います。
音楽療法士を目指している人たちへ、何かメッセージはありますか?
音楽療法士を夢見る若者や、その夢をあきらめきれない社会人の方々からメッセージをいただくことがあります。音楽療法士になるにはたくさんのことを勉強しなければいけません。音楽の他にも心理学やセラピーの過程を知る必要があります。
でも一番大切なことは、自分自身の内面を磨くことだと思います。どんなに優れた音楽療法士であっても、クライエントに信頼される人間でなければ、セラピーはできません。それが一番大切なことで、難しいことでもあると思います。
音楽療法の実践
音楽療法士は何をするのですか?
音楽療法を行うためにはまず、クライエント(対象者)のニーズは何かを知る必要がありますので、アセスメント(評価)を行う必要があります。アセスメントでは、音楽療法を委託されたクライエントに音楽療法が適しているか、その人が何を必要としているかを判断します。クライエントによっては音楽療法を行ったことが逆効果になる場合もありますので、アセスメントは重要な過程です。
そして、アセスメントの結果に基づいて治療法を考えます。例えば、不安を軽減することが必要な患者さんがいるとします。その不安の原因が息切や痛みなどの身体的な理由である場合、音楽療法を使ったリラクセーションをします。一方で、その不安が人間関係等の悩みが原因の場合、音楽を使っての心のケアやカウンセリングを行います。
音楽療法のセッションというのは、どういったものですか?
音楽療法のセッションの内容は、クライエントによって違ってきます。例えば、自閉症児との音楽療法とホスピスの患者さんとの音楽療法では、全く違った内容になります。ただし目指す原理は同じです。音楽療法士はクライエントのニーズに基づいて、意図的に音楽を使用します。
私が専門としているホスピスや緩和ケアの領域では、音楽を聴く、一緒に唄う、楽器をつかった即興、歌詞のディスカッション、音楽回想法(ミュージカル・ライフ・レビュー)などの介入方法があります。
音楽療法というと、心のケアが中心になるのですよね?
ホスピスや緩和ケアの音楽療法において、心のケアは重要な目的のひとつですが、クライエントによってニーズも目的も異なります。例えば、失語症の患者さんとの音楽療法であれば、音楽を使ってその人が言葉を話せるようになることが目的のひとつですし、自閉症のお子さんとの音楽療法であれば、その子が音楽を通じてコミュニケーションをとれるようになることが目的かもしれません。
ですから、心のケアは音楽療法における目的のひとつではありますが、その目的はクライエントによって変わるということです。
音楽療法ではどんな楽器を使いますか?
音楽療法のセッションで一般的に使用される楽器は、ギター、ピアノ、パーカッション、ヴォイスなどです。使用する楽器の選択は、治療目標やクライアントの好みによります。私はハープ、ウクレレ、ネイティブアメリカンフルートなども使います。音楽療法士にとって音楽は道具箱の道具です。大工さんが家を建てるのにたくさんの道具を使うように、音楽療法士もセラピーをするために、さまざまなかたちで音楽を活用できなければなりません。音楽という強力な道具をいかにうまく使いこなせるかが、そのセラピーの結果の良し悪しを決めるのです。
音楽療法が効果的なタイプってどんな人なのでしょうか?
基本的に音楽療法は誰にでも役に立ちます。でも、誰もが音楽療法を受けたいというわけではありません。まずは、その人に音楽療法を受けたいという気持ちがあるかが大切です。
音楽療法を受けるために、音楽の素質は必要ですか?
音楽療法を受けるのに、音楽の素質は必要ではありまん。音楽療法で肝心なのはプロセス(過程)であり、プロダクト(結果)ではないからです。歌がうまく唄えたかとか、楽器が上手に弾けたということは結果です。しかし、音楽療法で肝心なのは、その過程で得られることなのです。
普通に音楽を演奏するだけではない、特別な“聴かせ方”とかあるのでしょうか?
音楽療法で音楽を使うとき、クライエントに音楽を「聴かせる」のではなく、逆にこちらが相手に合わせます。例えば、クライエントの気分、感情、呼吸のテンポなどに合わせて唄ったり、楽器を弾いたりします。クライエントが悲しんでいるとき、楽しい音楽を使って元気づけるのではなく、クライエントの気持ちを代弁するような曲を使って、その人の感情と合わせるわけです。そこが単に音楽を演奏するのと、音楽をセラピーの一環として使うのとの違いです。
音楽療法では、やはり西洋音楽を使うのですか?
そんなことはありません。音楽療法のセッションでは、クライエントの好み、ニーズ、能力、状況などに応じて、さまざまな音楽を使います。アメリカ人の患者さんに日本の歌を唄うこともあります。『ラスト・ソング』には患者さんやご家族との10のストーリーを紡ぎましたが、その中でアメリカ人の患者さんに日本の歌を使ったケースも出てきます。歌詞がわからないほうがリラックスできる場合や、歌詞がわからなくても音楽が心に届く場合があるからです。
つまり、ある特定の音楽がセラピーに良いということはないのです。今まで様々な国籍の患者さんを看てきましたが、音楽は国境を超えると思いますし、どんな音楽であってもその人の心に響くものであれば、セラピーで使えると思います。
音楽療法のセッションは個人で行うのですか、それともグループですか?
両方です。どちらがいいかは、クライエントのニーズによって決めるのが理想的です。例えば、グリーフのサポートグループ(大切な人を亡くした人たちの集まり)で音楽療法をする場合、グループで音楽療法をすることによって、参加者同士がお互いを支え合えるというメリットがあります。
しかし、もしそのグループの大半の人が配偶者を亡くした人たちで、その中に一人だけ若いお子さんを亡くしたお母さんがいたとします。その場合、彼女は他の人たちの経験と自分の経験とを結び付けて考えることが難しいかもしれませんので、個人での音楽療法の方が適しているかもしれません。
アメリカのホスピスケアを受けている患者さんの場合は、個人セッションが主となります。ベッドに寝たきりの方がほとんどでグループセッションに来ることは難しいので、音楽療法士が患者さんのいる病棟、自宅、老人ホームに出向いてセッションを行います。
でも、家族や友人が音楽療法に参加する場合はあります。そうすることによって、家族や友人に心のケアを提供したり、彼らが患者さんと有意義な時間を過ごすお手伝いをすることができるからです。
音楽療法に「マニュアル」はある?
音楽療法の「マニュアル」や「プログラム」みたいなのはあるのか、という質問をよく受けます。音楽療法はクライエント・センタード・アプローチ(パーソン・センタード・アプローチとも呼ばれる)です。つまり、クライエント中心のアプローチ。その人によってニーズが異なるので、音楽療法の目的、介入方法、使用する楽器や音楽も違います。そのため、マニュアルのようなものを作ることは不可能です。音楽療法とは本来、マニュアルに従うのとは全く逆のアプローチと言えます。
音楽療法の倫理綱領とは?
音楽療法にも「倫理綱領(Code of Ethic)」があります。米国音楽療法学会の倫理綱領は、専門家としての音楽療法士の価値観を要約し、公平かつ責任をもった方法で音楽療法の実践を導くための原則と基準を説明しています。倫理綱領は長いリストなのでここでは全て紹介しませんが、「自分の限界を認識し、トレーニングや実践の範囲に見合ったセラピーを提供する」という項目もあります。つまり、音楽療法士は自分にできることとできないことを認識する必要があり、そのためには「セルフ・アウェアニス(自己認識・気づき)」が大切だということです。
また、「失敗や力不足を感じた場合は、自分を思いやり、マインドフルネスを実践すること」という項目もあります。マインドフルネスという言葉は、近年よく耳にするようになりました。簡単に言うと、今現在起こっていることに注意を向け、気づきを高めるプロセスを指します。自分を思いやることができなければ他人を思いやることはできませんので、重要なことだと思います。倫理綱領の目的はクライエントを守り最善のセラピーを提供するためだけではなく、セラピストの心身の健康のためにも大切です。
介護職と音楽療法士の仕事の両立の難しさ
音楽療法ができるという条件で高齢者施設に就職したのに、人手不足で介護ばかりさせられ、音楽療法する時間がない。
日本の音楽療法士さんたちからこのような話を聞くことが多いです。高齢者施設で介護と音楽療法の両方を担当しているという人音楽療法士が沢山います。アメリカでは音楽療法士が介護職と兼務しているという話は聞いたことがありませんので、私はこの現状を知ったとき、驚きました。介護職と音楽療法士の仕事の両立は非常に難しいと思います。その理由は大きく分けてふたつあります。
倫理的な問題
医療介護従事者が “Scope of practice(訓練の範囲)”内で活動することは、倫理的に重要です。患者さんに良いケアを提供するためには、自分にできること(トレーニングを受けていること)とそうでないことをしっかりと認識することが大切です。
例えば、音楽療法士の私がホスピスの患者さんに薬を処方したり投与した場合、”Scope of practice(スコープ・オブ・プラクティス)” 外のことをしていることになります。介護の場合も同様に、それを行うためのトレーニングが必要です。中には介護福祉士の資格を持っている音楽療法士もいますが、職場でトレーニングを受けただけという人もいます。それだけで十分なのでしょうか? 音楽療法士が介護職に携わる場合、適切な訓練を受けているのか、という倫理的問題がまず最初にあるのです。
音楽療法における8ステップ
音楽療法を行うためには時間とエネルギーが必要だということも兼務におけるもうひとつの問題です。音楽療法士はセッションの時間以外にも仕事をしています。セッションのプランを考えたり、新しい曲を探したりする必要がありますし、セッション後は記録をつけなければいけません。
音楽療法には簡単に説明すると、8のステップがあります。Standards of Clinical Practice(臨床診療の基準)と呼ばれるものです。
- Referral and Acceptance (委託と受諾)
- Assessment (アセスメント)
- Treatment Planning (治療プラン)
- Implementation (実施)
- Documentation (記録)
- Termination of Services (サービスの終了)
- Continuing Education (継続教育)
- Supervision (スーパービジョン)
実際のセッションは4の「実施」の部分です。周りに見えているのはこの部分だけだと思いますが、それ以外の部分にとても時間がかかるのです。このように考えた時、なぜ介護職と音楽療法士の両立が難しいのかがわかると思います。
音楽療法(ミュージックセラピー)に関する誤解
日本では音楽療法が明確に定義されていないため、様々な誤解や混乱が生じているようです。よくある質問のいくつかをご紹介します。
音楽療法って、効果はあるのですか?
日本で初めてお会いした薬剤師さんに、「音楽療法士って、宇宙にお祈りしているようなイメージがあるのですが…」と言われました。確かにそのようなイメージをもっている方も多いかもしれませんが、音楽療法はエビデンスに基づく臨床診療です。ただ単に音楽が「効く」というのではなく、なぜ音楽が効くのかどのように音楽を使えばいいのかを研究し、そのデータに基づいて行います。
続きを読む:音楽療法のエビデンスとは?»
CDを聞くことが音楽療法?
音楽療法とはセラピストとクライエントの関係性の中で音楽を使うアプローチですので、個人でCDを聞くことは音楽療法ではありません。多くの方は音楽を聞いてリラックスしたとか、エクササイズの役に立った、というような経験があると思います。そういう「音楽の使い方」と臨床診療としての「音楽療法」は別なのです。
ただ、すべての人に音楽療法が必要なわけではありません。CDを聞くだけでも十分な人もいますし、音楽療法以外のアプローチが適している人もいます。
映画「パーソナルソング」は音楽療法のドキュメンタリー?
近年、認知症の人とiPodを通じて音楽を共有するアプローチが話題になっています。これはニューヨークで始まった”Music & Memory” というプログラムで、ドキュメンタリー映画「パーソナルソング」で取り上げられ、有名になりました。iPodを使って認知症高齢者に音楽を届けるというもので、私が以前働いていたアメリカのホスピスでも似たような取り組みをしていました。
ただ、誤解してはいけないのは、”Music & Memory” と “Music Therapy”(音楽療法)は異なるという点です。このプログラムを開発したダン・コーヘン氏はソーシャルワーカーで、その違いについて発言しています。ただ、日本で「パーソナルソング」が公開された際に「音楽療法」と宣伝され、字幕でも「音楽療法」と訳されたため、誤解が広まったようです。
では、”Music & Memory” は誰にでもできるのかと言えばそうではなく、ある程度の成果を出すには基礎的なトレーニンが必要です。”Music & Memory” では、
米国音楽療法学会(AMTA)では、米国認定音楽療法士が”Music & Memory”プログラムを取り入れる方法を紹介しています。
Read more: Recommended Best Practices for Collaborations with “Music & Memory” Programs »
周波数を流すことが音楽療法?
国内のメディアでは、一定の周波数で音楽を流すことが音楽療法のように報道されることがありますが、これは音楽療法ではなく、サウンドヒーリング(サウンドセラピー)と呼ばれる領域です。クリスタルボールなどの楽器を用いるアプローチなどもサウンドヒーリングです。サウンドヒーリングと音楽療法は「音」や「音楽」を扱うという点で共通していますが、両者は異なるものです。
サウンドヒーリングは、音そのものが癒しをもたらすと考えるアプローチですが、音楽療法とはセラピストとクライエントとの治療関係(セラピューティック・リレーションシップ)の中で行う療法です。その関係を築くことが何よりも大事であり、クライエントが回復や成長に向かうためには欠かせない要素なのです。音楽療法士の役割は、音楽でクライエントを「癒す」ことではなく、本人が回復に向かうような環境を作ること、と言えます。
つまり、音楽療法士にとって、音楽はあくまでもセラピーにおけるツール(道具)なのです。そのツールをいかに使うかが難しく、やりがいのある点でもあります。
音楽を聴くだけで〇〇〇になる?
音楽を聴くだけで「ガンが消える」とか「認知症にならない」という話を聞いたことがあるかもしれません。残念ながら、日本にはこのような主張をしている人が沢山いるようです。彼らの中には医者や大学教授もいますので、信じてしまう人もいるようですが、このような説を裏付けるエビデンス(科学的根拠)はありません。また、すでに述べたように「音楽を聴く」=「音楽療法」ではありません。
「モーツァルト療法」というのは音楽療法ですか?
20年ほど前にアメリカで、モーツァルトを聴くと「IQが上がる」「頭が良くなる」と話題になりました。大学生を対象にしたテストで、モーツァルトを聴くと空間認知のスコアが上がるという研究結果が出たのです。そのため、子どもにはモーツァルトを聴かせるべきだという説が大流行し、「モーツァルト効果(The Mozart Effect )」と呼ばれるようになりました。日本では「モーツァルト療法」と呼ばれるようですが、関連する本やCDがたくさん出ています。
しかしその後、他の研究者が再現しようとしたところ同じ結果は出ませんでした。そして、この「噂」に終止符を打ったのは、モーツァルトの故郷であるオーストリアのウィーン大学が出した研究結果です。2010年に発表された論文で、モーツァルトの音楽に特別な効果はないことがわかりました。
オーストリアのウィーンの研究者は、単にモーツァルトの音楽を聞くだけで、特定の認知機能強化があるという、いわゆる「モーツァルト効果」にはエビデンスがない、という明確な結果を示した。~ScienceDailyから
音楽が人間の成長や心身の健康の回復を促すことは、さまざまな研究結果からわかっています。でも、モーツァルトでなくてもいいのです。モーツァルト効果は単なる「言い伝え」と言えます。
音楽療法と音楽レクリエーションの違い
異なる目的や焦点
音楽療法(music therapy)と音楽レク(recreational music making)の違いは何でしょうか? これは音楽療法に関する最も多い質問のひとつです。一般的にレクリエーションは「楽しむこと」が焦点となりますが、音楽療法は「治療目的」に焦点をおいたアプローチです。私の恩師で米国認定音楽療法士のジム・ボーリング教授は、このように語っています。
音楽療法は「楽しいこと」となり得るし、楽しいことには癒しの力がある。しかし、楽しいからといって必ずしも「音楽療法」ではない。
音楽療法とは簡単に言えば、クライエントのニーズに対応するために音楽を効果的に用いる療法です。「ニーズに対応する」という部分がいわゆる「治療目的」です。
私の講演やセミナーに参加された方たちからよく聞くのが、「音楽療法をしているつもりだけど、レクになっている気がする……」という悩みです。
彼女たち(彼ら)に共通することは、高齢者施設で認知症の方を交えた大人数のグループセッションを行っているという点です。それがどうしてもレクになってしまうのは、なぜでしょうか? ボーリング教授は次のように説明しています。
(認知症高齢者との)音楽療法が大きなグループで行われた場合、クライエントの症状が見落とされてしまう。クライエントと密接に接することによって、症状を軽減するだけではなく、QOL (quality of life: 生活の質)を向上させることができる。
ボーリング氏はセラピストとクライエントの「関係性」の大切さを強調します。関係性をつくるには、相手と密接に関わる必要があります。また、「治療目的」を達成するためには、ひとりひとりの症状に目を配る必要があるのです。音楽療法をグループで行う場合、クライエントの状態やニーズによって参加者数を検討することが大切です。
研究結果からみる音楽療法と音楽レクの違い
では、音楽療法と音楽レクの違いや特徴は、どのように「結果」として表れるのでしょうか? 近年ドイツの老人ホームで興味深い研究が行われました。117人の認知症高齢者をふたつのグループにわけ、ひとつのグループは音楽療法を受け、もうひとつのグループは歌唱を中心とした音楽レクを受けました。
音楽療法のグループは週に2回40分のセッションに参加し、音楽レクのグループは週に1回90分行われました。そして、6週間後と12週間後にうつの症状を評価したところ、音楽療法を受けたグループはうつ状態が軽減されたのです。
音楽レクにもさまざまなメリットがありますが、トレーニングを受けた音楽療法士によるセラピーの方が効果的であることが、この研究結果から読み取ることができます。
Werner, J., Wosch, T., & Gold, C. (2015). Effectiveness of group music therapy versus recreational group singing for depressive symptoms of elderly nursing home residents: Pragmatic trial. Aging & Mental Health, 21(2), 147-155.
日本の高齢者施設が「音楽療法」ではなく「音楽レク」を求めている理由
音楽療法はレクリエーションの代わりにはなりません。実際、これまで日本各地の高齢者施設を訪問した際に感じたことは、レクリエーションがもっと必要だということです。認知症の人たちがただただリビングルームに座っている光景を見て驚きました。高齢者の機能レベルを維持し、生活の質を高めるためには、社会的な交流が必要です。
アメリカの老人ホームやデイサービスには、 “レクリエーション・セラピスト(略して「レクセラピスト」)”と呼ばれる人がいます。ときには、 “アクティビティ・セラピスト”と呼ばれることもあります。彼らの仕事は、利用者へのレクリエーションを提供することです。レクセラピストは大学で学び、Certified Therapeutic Recreation Specialist(CTRS)という資格を持っています。
私はアメリカで多くの老人ホームを訪れましたが、レクセラピストがいないホームを見たことはありません。レクリエーションは一部の人のための「贅沢」ではなく、高齢者ケアにおいて欠かせないことだと認識されているからです。
日本の高齢者施設にはレクセラピストのような人がいるケースは稀で、大抵の場合は介護職員が交代でレクを提供している所が多いと思います。しかし、人手もリソースも足りない中で充実したレクを提供するのは困難です。そのため、施設はレクリエーション活動を提供する人を探しているのだと思います。
このような状況を考えたとき、なぜ高齢者施設が「音楽療法」ではなく「音楽レク」を求めているのか想像できます。高齢者ケアにおいて、音楽療法はレクの代わり(instead of)になるものではなく、レクに加えて(in addition to)行うものです。
失語症の音楽療法
音楽療法は、脳卒中や外傷性脳損傷によって言語に大切な左脳に損傷を受けた人々が、発話能力を回復する手助けをします。歌う能力は右脳にあるため、左脳に損傷があっても歌うことができるからです。元連邦下院議員のガブリエル・ギフォーズ氏は、発砲事件により頭部を撃たれて発話能力を失いましたが、その後音楽療法でリハビリをし、2年後議会の委員会で証言することができたのです。
疼痛緩和における音楽療法
音楽療法はリウマチによる痛みや、急性期の痛みなど、さまざまな痛みに効果的であることがわかっています。音楽療法によって鎮痛剤の量を軽減したり、うつ状態を緩和したりすることが可能です。そして、痛みで苦しんでいる人々にコントロール感(a sense of control)をもたらします。コントロール感が欠けていると、不安やうつにつながる場合があるため、患者さんが適度なコントロール感を持つことは、その人のウェルビーング(健康・幸福)のためにとても大切です。
認知症ケアのための音楽療法
音楽は脳全体でプロセスされ、音楽の記憶は脳全体に保存されることがわかっています。そのため、脳の一部しか正常に機能していない末期の認知症の患者さんであっても、音楽の記憶にはアクセスできるのです。音楽療法は認知症を予防したり回復させることはできませんが、音楽療法はBPSD(認知症の行動・心理症状)の軽減に有効であること研究で示されています。また、うつ状態の軽減、不安の減少、薬物治療の減少、注意力の向上なども示されています。
ホスピス・緩和ケアの音楽療法
終末期ケアに音楽療法が取り入れられはじめている理由は何ですか?
私がアメリカのホスピスで活動を始めた2002年、アメリカでも音楽療法を取り入れているホスピスは珍しかったのですが、現在では多くの音楽療法士が終末期ケア(エンド・オブ・ライフ・ケア)に携わっています。2018年の時点で、米国認定音楽療法士の数は全米で約7,500名。その内約15%は高齢者施設で、10%は終末期の患者と働いています。日本でも緩和ケア病棟、ホスピス、在宅医療などの現場で音楽療法を取り入れる所が増えてきています。
ちなみに、ホスピスというと日本の場合「ホスピス病棟」を連想する方が多いと思いますが、アメリカのホスピスとは日本の「緩和ケア病棟」「ホスピス」「在宅ケア」を合体させたようなもので、患者さんの住む場所は自宅、老人ホーム、病棟などさまざまです。実際、ほとんどの患者さんは自宅や老人ホームでホスピスケアを受けています。また、アメリカではどのような病気でも余命が短い患者さんはホスピスケアを受けることができるため、患者さんの病名はがんに限らず、認知症、ALS、心臓病、肝臓病など様々です。
終末期ケア(ホスピスケア、ターミナルケア)に音楽療法が取り入れられはじめている理由のひとつは、研究によって音楽療法のさまざまな効果がわかってきたことにあります。また、医療の焦点が「症状の治療」から「全人的なケア(ホリスティックケア)」に変化しているのも音楽療法が注目されている大きな理由のひとつです。患者さんが回復するためには、身体的な面だけではなく、精神的、社会的、スピリチュアルな側面などすべてをケアすることが大切です。
音楽療法でうつ状態を軽減できる? 寿命はのびる?
音楽療法によって寿命がのびるというエビデンスはありませんが、音楽療法は患者さんの生活の質(QOL)を向上させ、穏やかさや希望を与え、うつ状態や痛みを軽減することが数多くの研究からわかっています。”Journal of Music Therapy”に掲載された研究結果によると、音楽療法士は多くの場合、ホスピスの患者さんの感情的、精神的、認知的、社会的および身体的なニーズに一貫して対応できる唯一の専門家でした。音楽療法士を終末期ケアにおいて欠かせない職業として確立させるため、現在多くの研究が行われています。
1回きりの音楽療法がホスピスの患者さんに与える影響とは?
ホスピスで音楽療法士をしていると、患者さんとの出会いが1回だけという場合があります。出会った時点で死が近い状態にある患者さんもいれば、初回のセッションではわりと元気だった人が、突然状態が悪化し、2度目のセッションを行う前に亡くなることも多々あります。では、1回だけの音楽療法にどれだけの効果があるのでしょうか?
この件について調べた研究があります。フロリダのホスピスで80人の患者さんを対象に3カ月間個人セッションを行った結果、1回きりの音楽療法セッションでも効果があることが示されました。この研究結果は、”The American Journal of Hospice and Palliative Care” に発表され、数多くの論文で引用されています。
続きを読む:音楽療法のエビデンスとは?»
音楽回想法(ミュージカル・ライフ・レビュー)とは何ですか?
回想(ライフ・レイビュー)とは、簡単に言えば昔を振り返り内省することです。本人が気づいていない場合もありますが、死に逝く人に必ず起こる現象と言われています。患者さんのエネルギーが減少し、焦点が外界から内界に移るにつれ、ライフ・レビューの必要性が高まります。
高齢者や末期の患者さんが昔を振り返っていると、「思い出に浸っている」とか「現実逃避している」と思われることがありますが、実は回想には大切な役割があります。人生の意味を理解したり、やり残したことに気づいたり、今を乗り越える力になったりします。
では、なぜ音楽を使うのでしょうか? 昔の曲を聴いて、その当時のことが鮮明に思い浮かぶ。そんな経験はないでしょうか? 音楽には感情や記憶に働きかける力があります。音楽を用いて回想の過程をサポートすることを「音楽回想法(musical life review)」と言います。
※ライフ・レビュー(life review)の鍵となるのは「内省」の過程です。内省はせずに、楽しい思い出に焦点を当てて過去を思い出すことは、レミニセンス(reminiscence)と呼ばれます。ライフ・レビューとレミニセンスでは、目的、理念、セラピストの役割などが異なります。
音楽療法は、ホスピスや緩和ケアにおいてどのように使用されていますか?
ホスピスや緩和ケアで働く音楽療法士は、音楽回想法や音楽を使ったリラクセーションやカウンセリングを通じて患者さんの精神的なサポートをし、不安やストレス軽減します。スピリチュアルケア、グリーフケア、心のケア、疼痛ケアも行います。また、患者さんとご家族が有意義な時間を過ごすお手伝いもします。
ホスピスや緩和ケアにおける音楽療法に関しては、『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)を参照ください。
音楽療法士にとって、まわりの人に音楽療法を理解してもらうことが一番大変なことだと思います。それは、音楽療法が普及しているアメリカでも同じです。音楽療法は、私たちセラピストとクライエントの信頼関係の中で音楽を使うことが基本ですので、それを知ってもらうためには、私と患者さんとのストーリーを書くことが必要だと思いました。この本を通じて、多くの人に音楽療法士の仕事を知ってもらうことができればと願っています。