青空の広がる春の日、ホスピス病棟は重苦しいムードにつつまれていた。その日の朝、患者さんの息子さんが刑務所からお見舞いに来たからだ。
自分の家族がもう長くないとわかったとき、アメリカの囚人にはふたつの選択肢が与えられる。家族が亡くなる前に会いに行くか、葬儀に出席するかのどちらかだ。両方を選択することはできないので、どちらかの選択を迫られる。患者さんの息子さんが病棟にお見舞いに来たということは、この日がふたりにとって最後のお別れになることを意味していた。
49歳のマイクは、脳卒中の患者さんだった。午後になり、マイクの部屋を訪ねると、彼はベッドに横たわり、窓の外を眺めていた。マイクにいくつか質問をしいるうちに、私は彼が言葉を話せないことに気づいた。数回にわたる脳卒中の結果、発話能力を失ってしまっていたのだ。
それでもマイクは、自分が以前ギターを弾いていたことをジェスチャーで表現してくれた。私がギターの伴奏で “You’re My Sunshine”を唄いはじめると、マイクは目に涙を浮かべた。
そして、身ぶり手ぶりでその日の出来事を必死に伝えてくれた。息子さんとは3年ぶりの再会であったこと。言葉は話せなくても心で通じ合ったこと。彼は、もう2度と息子さんに会えないことを知っていた。
マイクは泣きながら、テーブルの上の紙を指差した。その紙には電話番号が書いてある。電話をかけると、マイクの奥さんとつながった。
すると、マイクがまた何かジェスチャーをしている。どうやら奥さんのために歌って欲しいらしい。
私はマイクに受話器を渡した。彼は一生懸命に腕をのばし、私のほうに受話器を近づけようとしていた。少しでもはっきりと奥さんに歌を届けたい。そんな気持ちが伝わってきた。
マイクの奥さんに対する愛情は、言葉が無くても十分わかった。しかし、彼はもう、その想いを自分の言葉で伝えることはできない。
考えぬいた末、エルビス・プレスリーの “Love Me Tender” を選曲した。シンプルなラブソングだが、きっとこの曲なら彼の気持ちを奥さんに伝えられるだろう。
マイクは曲の間、涙にふるえる手で受話器を支えていた。
そして歌が終わると、彼は受話器を自分の耳にあてた。それを見て、私は彼と奥さんをふたりきりにしてあげなければと思った。
静かに席を立ち、ドアを閉めようとしたときマイクの声が聞こえた。
「I… lo..love… you」
私はこれまで、いや、これ以降も、こんなにも一生懸命にこの言葉を発した人を見た事がない。
自分の気持ちを的確な言葉で表現できないことが、ときにはあるだろう。マイクの場合は言葉が話せなかったわけだから、まさにその通りだった。
つらい時に彼の心を支えたのは、奥さんの存在。 彼の愛情を“Love Me Tender”が代弁したのだ。
フランスの詩人、ヴィクトル・ユゴーの言葉を思い出す。
音楽は人間が言葉で言えないことで、しかも黙ってはいられない事柄を表現する
この記事は、『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)の一部を修正して引用したものです。
コメント